2.救世主

ミダスの手:ヴルメールとラルムの出会い

「この畜生モドキが! アースランに逆らいやがって‼」 「やっぱ王都を離れると勘違いしてる下等種族が多いよな〜」  紅く染まった脇腹めがけて騎士の蹴りが突き刺さり、セリアンの『ラルム』は喉奥を逆流する鉄の味の胃液と全身の毛が逆立つ。  普段よりも〝儲かった〟のはどうやら嵐の前触れだったらしい。 (……まさか、こんな辺境《アイオリス》なんかに王都の騎士団が出張ってたとは)  耳の中でガンガン木霊する騎士どもの暴力の音も、新鮮な肉に近づいてくるネズミを振り払う余裕もなくラルムはただ地面に叩きつけられ、理不尽な暴力を受け入れる他なかった。  ……抵抗らしい抵抗もできず、強者の玩具になって死に近づいているという状況に最初は怒りも痛みも憎しみも感じていたが、もう何とも思わない。  脳みそと腹の中で煮えていた屈辱も恐怖も絶望も既に冷め切ってしまい、宙に投げ出された自分の体ををあくびをかみ殺して眺めていた。 「おっ! 見ろよコイツ、こんなに金持ってやがったぜ!」 「スリだけでここまで儲かるたぁ、俺もいっそのことスリに転職しよっかなぁ」 「俺たちならわざわざこんなことしなくても倍手に入るだろーが」  ラルムのポケットから光り輝く硬貨がこぼれるのを見るなり騎士たちは歓声を上げ、まるで樹海で採集する冒険者のように彼の体から金目の物を手当たり次第に漁りだす。  通行人や冒険者から掠め取った財布に小さなアクセサリー、くすんだ服のボタンや少し前まで所属していた冒険者ギルドの紋章も金になりそうな場所以外に価値はないと言わんばかりに金具が毟られる。 「ん? お前冒険者だったのかよ! 自分だけ生き残ってスリしてるたぁ、やっぱりセリアンは恩知らずなんだな」 「……ぅ!」  相手を挑発するなんてのは分かりきっている、今の自分には彼らに抵抗できないのも。  それでもかつて手にした『春の思い出』を虫の手足を千切るように弄ばれ、ゴミに出されるのは我慢ならない。  血混じりの泥水に冒険者だった証が投げ込まれ踏みにじられた瞬間、潰された喉から声が出る。 「冒険者堕ちの常習スリなら詰所に連れてってやるか?」 「ハハハ! こんな汚いガキ詰所に連れてったら俺らが逮捕されちまうよ」 「だな。畜生は畜生らしく惨めに暮らせっての」  しかし既に騎士たちはラルムを嬲るのに飽きたのか、嘲笑というツバを好きなだけ浴びせかけて路地裏の外へと立ち去ろうとしていた。  ──ふざけるな、と銀色の背中めがけて今すぐ殴りかかりたかった。  でもラルムの四肢は動くどころか鈍痛を返すだけ、見えていた世界もぼやけてもっと暗く深い闇へと堕ちていく。 (……きっと、アイツらの言う通り、オレは生きる価値もないクソ野郎なんだろうな)  腹を満たしていた怒りも憎しみも身体からドクドクと命の源が流れ出すにつれ溶けて、まどろみの中に飲み込まれる。  青紫に腫れたオリーブ色の両の眼から光が失われようとしたその時だった。 「──クズはどこにでもいるな」  ──今まで聞いた事もないほど心地よい低い声、沢山の花を煮詰めて甘く味付けたような芳香がラルムの耳と鼻を撫ぜる。  顔を上げると騎士たちの前にいたのは天使でも死神でもない、だがこの世のものとは思えぬほどに美しいアースランの青年だった。 「誰だお前? 冒険者か?」 「俺たちを誰だと思ってるんだ? 王都の騎士だぞ、冒険者ごときが話しかけてくんじゃねぇ」  突然現れた軽装の美青年に騎士たちは見るからに不機嫌になり、まだ何もしていないというのに銃剣を向けるが彼は喋らないどころか動こうともしない。  ……アイツもまた、自分と同じような目に遭わされるのだろうか。今のラルムにとってはどうでもいい事だが。 「アレじゃね? さっきのセリアンの仲間とか」 「あー! 確かにありそうだな……よく見りゃ女みてぇな顔してるし、へへっ」  動こうとしない青年に対し、騎士たちは頭の中で都合の良い下卑た妄想が浮かんだのか値踏みするようなニヤけ顔で彼の肩を抱く。 「無料でやってくれるってんならさっきのお前の発言、聞かなかったことにしてやってもいいぜ?」 「そうそ……お、おい!」 「んぁ? なんだよ、今良いところな……」  アースランの青年を触っている男以外の騎士たちの顔が凍りつく。  男は突然口をパクパクさせて震えだした同僚たちに一瞬呆気にとられ、やがて彼の赤ら顔も冷水でも被ったかのように真っ白になった。  ──その視線の先にいたのは騎士たちとよく似た、しかし彼らよりも豪華な格好のアースランの大男だった。 「た、隊長……」 「……」 「じ! 実はこの冒険者の方が暴漢に絡まれておりましてぇ、我々で助けに入ったのであります‼」 「そうですとも! な、ボク‼」 「我々はこの方を宿に送り届けなければなりませんので、あははは!」  隊長を目にした騎士たちは美青年の肩をわざとらしく叩き、先ほどまでの悪行を覆い隠すように大声でわざとらしく笑ってみせる。  そんな誰が見たって分かるような演技に隊長は腕を組んだまま、厳つい顔に影を落として騎士たちを睨む。  とりつく島もない隊長の姿に騎士たちは次第に腑抜けた笑顔を失い全身から滝のような汗を垂れ流す。 「我々は、そのぉ……」 「……」 「……」 「……あの、隊長?」 「……」  ──隊長である男は呼びかけに応えなかった。  それどころか騎士たちの見え透いた嘘にも、血の匂いを嗅ぎつけて耳元でブンブン飛び回る蝿にも、脚を登る不快害虫にも──無反応だった。 「たいちょ──」 「──『やれ』」  異変に気づいた騎士の一人がもう一度声をかけた時には既にガントレットをはめた大きな拳が鈍い音と共に彼の頭を砕いていた。  ……ラルムは目の前で始まった凄惨な宴にこれまで自分が味わった暴力はお遊戯だったと嫌でも理解した。  突然の凶行に混乱する騎士たち、獣のように咆哮を上げ突撃する隊長、すぐさま弾を込める騎士、その腕ごともぎ取られる、一斉砲火を浴びようとも目が潰れようとも一切怯まない隊長だったもの、狂乱する騎士たち、一人がサーベルを抜く、仲間ごと刃をめちゃくちゃに振りまくる、飛び散る熱い液、刃を掴む手、そのまま放り投げられる人間、ぶち撒けられる脳漿、赤、汚物、臓物、体液、悪臭、命、死、死、死。  目の前で弾け飛ぶ命に声すら出せず、暴力の切っ先がいつ自分に向けられるのかとガタガタと全身を震わせていたラルムの頭に不意に冷たい液体が垂れた。 「なぁ、強さってなんだと思う?」 「ぅ……」  薬液の冷たさに肌が強張るが身体中の怪我と痛みが引いていく……多分メディカだろう。  頭から被ったメディカの薬液のおかげかラルムの五感は段々と元の鋭さを取り戻し始め、垂れてくる血混じりの薬液に顔をしかめる。  薬瓶を傾げていたのは先ほどの美しいアースランの青年だった。 「ルナリアなら魔術、セリアンなら武力……じゃあアースランの強みはなんだと思う?」 「……知るかよ」 「あの男には俺の血を与えてやった。結果はご覧の通り」 「血、だと?」  青年の答えにラルムの頭を満たしていた疑問が一気にチャチな冷笑に変わる。  ……あの赤く生温かい体液に特別な力があるだなんてやはりアースランはどうかしている脳ミソを持っているのだろう。  そんなラルムの態度が表に出ていたのかアースランの青年は虹色の瞳を細めて囁く。 「おおっと、ルナリアやブラニーが使うような怪しい呪いの類だと思うなよ? これは『支配』そのものだ」  そう言う彼の手首にはまだ新しい包帯が丁寧に巻いてあり、彼はそれで背後で未だ暴れる隊長だった怪物を指し示す。  ──包帯の下からどこかで嗅いだ匂いがした。 「オレに、何をさせるつもりだ」 「別に? ただ、お前の隊長を見る目がとても羨ましそうな目をしていたからな……欲しいのか?」 「……⁉」  ラルムの返事を待たず、青年はまだ鮮血の香りが漂う手首を唇のすぐ側に添えた。  かぐわしい花束を胸いっぱいに吸い込んだような香りに耳がピンと立つと同時に体中の傷から血が噴水のように噴き出し、アースランの青年は長い睫毛の奥の目を細めて笑い転げた。 「ハハハ! お前本当に面白いな、野垂れ死にさせるのが惜しいくらいだよ」 「……なんだよ、テメェ」  美青年としか形容できない整った顔をいたずら好きの少女のようにくしゃっと歪め、高らかに笑いながら自分を見下ろす虹色の瞳。  彼も先ほど自分を嬲ったアースランなのに、初対面だというのにさっき死にかけた時よりも強く、冒険者になった時よりも激しく心臓が今にも突き破って飛び出しそうなほど熱く脈打つ。 「……なら」 「ん?」 「テメェの血を飲んだら、オレも強くなれるのか。街生まれのセリアンでも、強くなれるのか」  既に周囲は自分と彼以外誰もおらず、ラルムの世界には青い短髪を揺らし自分を待つ救世主の笑みだけがあった。 「その力への渇望こそ、俺の血を受け取るに相応しい心構えだ」  ラルムの問いかけに青年はただもう一度深く口角を歪めると取り出した短剣で自身の手の甲を裂く。  飲め、の合図と共に迷う事なくラルムはその細く白い手に口づけ、赤い蜜を吸う。  口腔に広がる甘みは今までの不幸な記憶を螺鈿と青で塗りつぶすように舌を、喉を伝い落ちていった。

  1. 1

更新履歴

・2026/03/24:第1版