ニァと新入りのバレンタインデー


1


……自室の机で報告書をまとめる新入りの背後から扉の開く音が聞こえてくる。 新入りの数少ない知り合いでノックもせずに入ってくるのはただ一人、軽い足取りで入ってきたのは陶器のような白肌と金細工のような金髪の少女……二ァであった。 「しんいり、チョコ、たべたい」 「今か?」 うん、とだけ言って二ァはそのルビーのような瞳で新入りの顔を覗き込んでくる。 ……この前の依頼人の羽振りがよかったお陰で、今新入りの懐にはそれなりの金額がある。 これだけあれば大食漢の二ァ相手でもそれなりに満足するだけの食い物は与えてやれるだろうし、そもそも自分には欲しい物なんて無い。 なら二ァにくれてやっても良いだろう。 「……じゃあ買いに行くか」 「うん」 新入りが立ち上がると同時に二ァは嬉しそうに頷くと、傷だらけの無骨な手に細く白い指を絡め急かすように引っ張りながら扉の向こうへと繰り出していった。 体の芯から凍える真冬を越えたとはいえ、未だ風が肌に吹き付けるたびにまるで小さな針がチクチクと刺さったような痛みを感じる程だ。 そんな北風を気にも止めず無我夢中で突き進む二ァに引っ張られて新入りは居住区の一角に聳えるとある店に足を踏み入れた。 「いらっしゃぃませぇ〜」 「みて、チョコ、いっぱいある」 「ああ……」 ドアベルがなった瞬間温かい風と一緒にチョコレートの甘い香りがぶわっと溢れ出す。 平和だったはずの菓子店にはえげつない赤とピンクのハートやリボンや愛の言葉がそこら中に飾り付けられ、店の中は年頃の少女や腕を組んだ男女で埋め尽くされており、そして一番目を引くのが所狭しと詰め込まれた大量のチョコレートの山だ。 ……新入りは完全に忘れていた。 そう、この時期はバレンタインデーの時期だったのだ! (い、今の季節ってバレンタインデーだったのか!?すっかり忘れてた……) 「チョコいっぱい、どれにしようか、まよう」 珍しく興奮気味に辺りを見渡しているニァとは対照的に、新入りは今すぐこのハートと頭ピンクなアホ共だらけの甘ったるい空間から逃げ出したくて仕方がなかった。 だが新入りが固まっている間にも二ァはチョコレートの店に駆け寄ってはしげしげと、まるで恋する乙女のような愛らしい顔でチョコレートを吟味していた。 そして気になったであろうチョコレートをそれこそ零れそうなくらい腕に抱えて戻ってきた。 「しんいり、どれがいい?」 「そういうの私には分かんないって……」 溢れんばかりのチョコレートを真剣に選ぶ二ァに新入りは痛む頭を掻きながら見たくもないチョコレートの棚を睨みつけるように眺める。 ……新入りはバレンタインデーなんて生まれてこのかた縁が無い。 ミズガルズに入る前も入った後もこんなイベントに参加したことなんて無いし、こんなしょうもないイベントの何が楽しいのか分からない。 今だってそうだ、チョコレートなんてどれも同じくせになんでわざわざ今日この日に買うんだろう。 「どれが、いちばん、おいしいかな」 「……包装が豪華なだけだろうし中身は普段と一緒だろ。なんでも良いんじゃないのか?コレとか」 「むむ……」 どのチョコレートも値段と外見以外の違いが全く分からない新入りは適当に目についた青い箱のチョコレートを指差した。 唇を尖らせながら呻く二ァは新入りの選んだ箱と自分が持ってきたチョコレートを何度も何度も見つめ、やがて二ァが両手で抱えてやっと持てるハート型のチョコレートを掲げて見せた。 「きめた、これにする」 「ふぅん……まぁ別にどうでもいいが」 ……決め手は確実にサイズだろうな。 そんな事を思いながら新入りが選ばれなかったチョコレートを棚に戻していると不意に二ァの物ではない間延びした声が聞こえてきた。 「あら、お嬢さんもバレンタインの贈り物ですか〜誰に送るんですか〜」 「ばれんたいん?おくりもの?」 二ァに話しかけてきた店員の女はどうやらチョコレートを大事に抱きしめている二ァを『そういう客』だと思ったらしく不思議そうに首を傾げる二ァに目を細めながら喋りだす。 「バレンタインデーっていうのは別名恋人の日っていって〜恋人や夫婦が愛を祝う日のことなんですよ〜」 「ちょこれーとは?」 「んー……ぶっちゃけた話、花束やメッセージカードと同じ贈り物の選択肢の一つに過ぎないですかねぇ」 ……ミズガルズに行けば多分チョコレートである答えが得られるだろうが新入りはこれからも調べようとは思っていないし、思うことは一生ないだろう。 唇を尖らせ難しい顔をしていた店員の女はあくまであたしはそう思ってるんですけどねぇ、とのんびりした口調で笑いかけた。 「どこから始まったのかはうちもよく知らないんですけど〜大好きな人や恋人に愛を込めて贈り物をするなら甘〜いチョコレートが適任だったんじゃないですかね〜」 「こいびと……」 「まぁ最近は恋人じゃなくても友達や親しい間柄の相手に贈る方も増えてますけどね〜」 そこまで伝えて満足したのか、ニコニコ笑顔の店員の女は二ァにハッピーバレンタインと言い残し新しく入ってきた客を出迎えに行ってしまった。 新入りはうるさいのがやっといなくなった解放感に小さく息を吐きつつ、ハート型のチョコレートをじっと見つめて立ち止まっている二ァの肩を軽く叩いた。 ……肩を叩かれても中々動き出さない二ァに違和感を覚えていると、不意に二ァが顔を上げる。 「……しんいり、チョコレート、こっちかえてもいい?」 「別に構わないが……ってこら!走るな!」 買う前なら好きに選び直せばいいと言うや否や、二ァは野ネズミのような勢いですぐ新しいチョコレートを大事そうに抱えて戻って来た。 選ばれたその箱は先ほどの特大ハート型と比べ片手に収まるサイズであり、空色の長方形の箱と青いリボンだけの装飾が非常にシンプルな印象を与える。 「随分小さいやつ選んだなお前……足りるのか?」 「うん」 即答する二ァの双眸は新入りと自分の手に握るチョコレートをしっかり映しており、絶対これにすると言わんばかりに目の光が新入りを見上げてくる。 ……一体このチョコレートの何が二ァをここまで頑なにするのか甚だ疑問だが、二ァ本人がこれで満足しているのなら別に構わないだろう。 数十分の並び時間と一分にも満たない会計を終えて外に出ると二人の身体を極寒の冷気が包み込む。 早く宿に戻ろうかと白い息を吐きながら歩き出す新入りだったが服の裾を引っ張られる感触に立ち止まって振り返った。 「……あー、何だ?」 「しんいり、あげる、はいどうぞ」 「……はぁ!!!?」 ……まっすぐに差し出された青色の小箱。 それが自分へのバレンタインデーの贈り物だと気がつくのに新入りはたっぷり三十秒かかったのだった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3

更新履歴

・2025/02/14:第1版