1
『いつまでため息を吐くつもりですか、マスター』
「いってぇ!!」
夕方に目を覚まして以降ずっとため息ばかり吐き続けるマスターめがけてベータは渾身の体当たりをぶちかました!
『病院内なのでお静かに』
「ぐぅぅ……っ!だったら頭目掛けて落ちてくるなよ!」
「マスターの頭蓋骨は一般的な男性に比べ2.3倍ほど硬いので問題ないと判断しました」
「知るかっ!」
ベータの金属製の体がおでこに勢いよく衝突し目に涙を浮かべたオルヴェは薄いマットレスの上を転げ回って悶絶しながら怒る。
……二匹目の獣王ベルゼルケルを何とか追い払うことに成功したアルゴノーツ。
だがその代償は重く、未熟な身でベータの力の一端を解放したオルヴェは全身の筋肉から始まりあらゆる身体の内部や健を痛めてしまい、三日の昏睡と一週間の探索禁止という代償を支払う羽目になったのだ。
──ただ、不幸中の幸いにもオルヴェ以外のメンバーは全員軽傷で済んだ。
彼らは昏睡状態のリーダーを病院に任せ、今もオルヴェ抜きで獣王ベルゼルケルに迫るための探索を続けている。
そんな話を目覚めてすぐベータから聞かされたのだ。
「こっちは早く獣王ベルゼルケルを追いかけたいってのに……」
『今の体と実力で太刀打ちできる確率は0パーセントに近いです、寝て下さい』
「寝てろって言われてもよぉ〜〜……」
置いていかれた寂しさや四人だけで冒険を再開してもらっている申し訳なさよりも、これではアルゴノーツのギルドマスターの名が廃るという焦燥感やプライド、そして目の前にある未知の冒険をおあずけにされたような状況の方がオルヴェには耐え難い。
ベータに愚痴ったりため息をついたところでじわじわと潰されているような痛みは癒えないし大人しく寝ていた方が結果的に早く済むのは分かっているのだが……。
「なぁベータ!オレの体もオリバーたちみたいに直してくれ!」
『はぁ』
数秒も経たない内にオルヴェは両手を合わせながらどこからそんな声が出せるんだと思うほどの大声でベータに懇願する!
……あの高慢ちきな態度と慇懃無礼な性格のコイツに話を聞いてもらうにはこれしか無い!
『不可能です。先日の戦いでエネルギーを消耗しましたので直せる余裕はありません、自力で頑張ってください』
「そんなぁ!一週間もベッドの上とかオレ絶対ムリ!退屈すぎて死ぬって!」
『一応明日からは宿に戻っても良いと言われているでしょう』
「だけどさ〜〜!!」
子供のように駄々をこねようが何度もしつこく迫ろうが握りしめたベータは頑なに首を縦に振ろうとはしない。
……無感情な声と変わらない答えを聞いていると、まるで巨大な鉄の壁を必死に押して動かそうとしているような気分になってくる。
『それに、明日は朝十時からペルセフォネ姫と面会の予定ですよ。早く寝て明日に備えて下さいマスター』
「はいはい分かった分かったって……」
そして翌日のペルセフォネ姫との面会というレッドカードを突きつけられたオルヴェは渋々ベータをサイドテーブルに戻すと自分のベッドに潜り込んた。
……机の上からこっそりと下がっていく少年の体温や心拍数をスキャンし、やっと寝る気になったかとベータは無い肩の荷を下ろして一息つく。
明日からまた生意気な子供のお守りをするのかと思うと多少憂鬱だが今から最低でも八時間は静かで平穏な夜を過ごせるのだ。
「あ!オレさ、ベータに一つ聞きたいことあるんだけど!」
それから三十秒も経たない内にベッドから飛び出した手のひらがベータをぐわしと掴み上げる。
……舌や歯があればベータが今どんな気分なのか、どういう悪態をつくのかこの少年に嫌と言うほど分からせられるのに。
『……何でしょうか?』
「二匹目のベルゼルケルに立ち向かった時だけど、なんでオレの手助けしてくれたんだ?」
……オルヴェの知っているベータは言う事為す事あらゆる事を理屈っぽい口調と論理で否定し反論するような奴だ。今も冷静に答えてくれているが内心自分をぶん殴りたいと思っていることだろう。
──二匹目のベルゼルケルにオルヴェが立ち向かうことを告白した際にベータから返ってきたのは無謀、不可能、諦めろの三句。
だが、あの時のベータはいつもと違った。
無理矢理仲間に別れを告げ自らの正義を選んだオルヴェを見捨てるわけでもなく、やろうと思えば出来るのに体を乗っ取って逃走せず、己の中に封じられた力を解放し限界ギリギリまでオルヴェの無謀な希望に協力してくれた。
……その結果、負傷者はいるが誰も死ななかったという熟練冒険者でもそうそう起こせないような奇跡を起こせたのだ。
「教えてくれよー!何か理由があるんだろ?な、良いだろ?気になってオレ全然眠れないよ〜ベーター」
『……』
「……はぁぁ」
だが無機物とのにらめっこ勝負に勝てるわけもなく、十数分の激闘の末沈黙に耐えかねたオルヴェは重くなってきた瞼をこすりながら枕に頭を埋めた。
……答えたくないなら答えなくても良いだろう。押せば押すだけ意固地になるのはあちらも同じだろうし。
『──逃げなかったからです』
「へ……?」
──背中から無機質で静かなベータの声がほんの少しだけ聞こえた気がして、布団で身を包んだオルヴェはすぐ起き上がった。
『私があの時、力を貸したのはマスターが瀕死の冒険者たちを見捨てて逃げなかったからです』
──合理と判断力の化身であるベータが出した答えは、樹海で倒れてからずっと身体を苛んでいる筋肉痛を完全に吹き飛ばすほど衝撃的だった。
「え!?マジで!?ベータそういうの一番否定しそうなのに!?」
『勘違いしないで下さいマスター。あの選択は最も愚かで無鉄砲で考えの甘い行いだと言うことは当然の事実です。今回は仲間も救出対象も無事で済みましたがあの状況で勝てると思ったんですか?仲間を危険に晒したくないと言っておきながら巻き込むとは愚の骨頂ですね』
「お前なぁ!人が良い気持ちになってる時にそりゃ無いだろ!?」
珍しく褒めたと思った直後、ベータの言葉は流れるように軽率な行動への罵倒に切り替わった。
半分驚き半分喜びだったオルヴェは上げ落としをモロに受け、眉間にシワを寄せながら蒼い剣身に向かって言葉にならない不満に呻く。
だがベータはそんな威嚇を気にも止めず、更に言葉を続けた。
『……ですが個人的には貴方の選択は好ましいものでした、だから手助けした。それだけです』
「……」
その無機質ながらどこか思い出話をするような彼の本音にオルヴェもいつしかじっと聞き入っていた。
「……そっか、教えてくれてありがとな」
胸でつっかえていた疑問がまるで春の雪のように解けて、いつしかオルヴェにはベータの少し冷たい声がなんだか子守唄のように心地よい声に聞こえてきた。
少し早口で話を言い終えたベータに少し笑いつつ、今度こそおやすみの挨拶をするとオルヴェはベッドに体を横たえた。
『マスター──私は、そもそも立ち向かうなんて出来なかったんですから』
……月の光が差し込む病室で最後の吐息のように絞り出された後悔と諦観。
いびきをかきながら暢気に眠る少年に聞かれなくて良かったなと自嘲しながら、ベータはいつもよりも静かな自由時間に身を委ねた。
2
「ギ、ギルド、アルゴノーツのオルヴェです!約束通り参上しましたっ!」
「……入れ」
……予定通り司令部に参上したオルヴェは扉越しに響く凛とした声にピクリと背筋を伸ばす。
寝坊はしなかったし迎えの衛兵のお陰で迷子にもならなかったが久々に聞くペルセフォネ姫の声は大半を眠って過ごしていた身体が目覚めるほど鋭い。
(何やってるんですかマスター、早く入りましょう)
(分かってるって!でもなんか緊張しちゃって……)
囁きかけてくるベータの言い分も最もだが、司令部のエントランスホールよりも更に豪華で衛兵の数も三倍はいるであろう内部を歩いているとやはり暢気なオルヴェも自分が場違いな気がしてくるものだ。
病院を出た時は勇み足だった歩調も、今は小鳥のように小さくなっていた。
「……失礼しますっ!」
暫しオルヴェはベータを握ったまま飾り彫りの扉の前で立ち尽くしていたが、やがて肺いっぱいに気合を吸い込んで重く硬いドアノブを力いっぱい押し込んだ!
──耳と鼻先を通り抜けたのは芳香剤と埃の混ざった淀んだ匂いではなく、青々とした草花の匂いと髪をふわりと浮かす清風だった。
「わぁ……!!」
シャンデリアとも白熱灯ともまた違う、目蓋を刺すような強い光を遮りながらオルヴェは滲んだ視界を擦り目を見開く。
室内かと思われたそこは植物園を小さくしてそのまま持ってきたかのように緑溢れる幻想的な庭園だったのだ。
「ここってマギニアの中、だよな!?」
『私もこのような場所があるとは知りませんでしたが……船の中には違いありません』
黒い金属の柵といい匂いのする黄色い花の生垣の向こうには赤い屋根のマギニアの市街地と青空が広がっている。
そして、白布に覆われた長テーブルの最奥では本を広げ普段よりも柔らかな笑みを浮かべたペルセフォネ姫がこちらを手招いていた。
姫に促されるままにオルヴェはベータを机に置き、金属の椅子に尻を収めると上半身や首をあちこち回して周囲を忙しなく見渡す。
「ふふ、私の庭にようこそ。この場所は王族や近衛兵しか立ち入れぬ場所、秘密の話をするにはうってつけだろう?」
「マギニアにこんな場所があったなんて……でもオレなんかが入って良いんですか!?」
……先程まで石のようになって緊張していた少年の無邪気な様子にペルセフォネは愉快そうに目を細めた。
「獣王ベルゼルケルの討伐と冒険者の救助、見事であった。既に走れるまで回復しているとは私の見込んだ通りだな」
「ありがとうございます!だってオレはレムリアの宝剣に選ばれた勇者ですからっ!」
「よろしい。大まかな報告は汝の仲間や他の冒険者から既に聞いている。汝に聞きたいのはそのレムリアの宝剣に一体何が起きたかの詳細な報告だ」
「はい!あの時、獣王ベルゼルケルを倒した後──」
快活な受け答えに頷きながら笑っていた直後、春の女神のように温かな顔つきだったペルセフォネが指を組んだ瞬間一国の王へ変貌し、オルヴェはゆるんでいた顔の筋肉を急いで引き上げるとテンポの良い大声に乗せて数日前の死闘を口頭で再演する……。
オリバーとマルコの救出、獣王ベルゼルケルの討伐、二匹目の獣王──そして、レムリアの宝剣の隠された力『第一の鎖』。
全身の激痛で失神するところまで一息に話し終えたオルヴェは喋っている内にぶり返した全身の鈍い痛みに背を丸めて息をついた。
「脳のリミッターを解除して全身の身体能力を極限まで活性化する『第一の鎖』か」
「お陰で獣王ベルゼルケルを追い払えたんですが流石のオレでもしんどかったです……」
(単純に貴方が未熟なだけです、マスター)
(しーっ!!)
椅子の上で脱力していたオルヴェは頭の中で響く聞き慣れた小言に目をひん剥くと、机の上に寝転がっている声の主……ベータをジロリと睨みつける。
……どういう原理かは知らないが彼はオルヴェの頭の中に直接話しかけることが出来るらしく、表立って反論できないのを良い事にこうやって小言を言ってくるのも結構あるのだ。
「こちらもレムリアの宝剣について再度調べていたところレムリア載記の中で『第一の鎖』らしき記述を発見したのだ」
「へ、えっ!?」
ベータと静かな口論に突入しようとしていたオルヴェだったが、自信ありげな女性の声と紙を捲る音に素早く背筋を伸ばすと机の上の本を覗き込んだ。
「旧エトリア文字でもゴダム語でもない……?ですよね」
(おや、マスターにしては意外ですね。本を読んだら寝るタイプだとばかり思っていました)
(好きな本は寝ないからっ!……で、この文字は?」
「これは古代レムリア語だ。汝もこのような伝承や歴史が好きなのか?」
「はい!昔の人とか国とか、すっごくワクワクします!……まぁ古代語読めないんだけど」
オルヴェが未知の言語が踊る紙面に顔を近づけて睨みつけるように眺めていると姫は小さく笑いながら何枚かページを捲り、ベータそっくりの剣に鎖が巻き付いた挿絵を指差した。
「え!?これってベ……レムリアの宝剣、ですよね?」
「ああ。この本によればレムリアの宝剣には『鎖』と呼ばれる隠された機能が全部で三つ存在するらしい」
「三つも!?」
「ただ、今回の第一の鎖を除き詳しい効果や発動条件は依然不明……これ以上の詳細は実際に確かめる他無いだろうな」
「実際に……!」
自分と同じようにペルセフォネも三つの鎖のことが気になるのか、少し上ずった声で喋りながら蒼い瞳が期待するように細められる。
「分かりました!オレに任せて下さいっ!」
「良い返事だ、では鎖の件は頼んだぞ」
オルヴェは姫の言葉に応えるように立ち上がると胸の躍る提案に食い気味に返事しつつ、素知らぬ顔で話を聞いていたベータをちらりと見下ろした。
(ベータ!そんなカッコいい秘密があるなら早く教えてくれれば良かったのに!ペルセフォネ姫も知りたがってたじゃん!)
(教えたところで今現在のマスターの力量では第一の鎖の解放が限界です。下手に第二第三の鎖を解放すると死にますよ)
(オレはそんなんじゃ死なないし!)
コロコロと表情を変える少年を優しげな眼差しで眺めていたペルセフォネはそれから、と言葉を続けながら本を閉じた。
「実は汝にはもう一つ聞きたい事があるのだ」
「あ、何でしょうかペルセフォネ姫?」
「いや、私が話したいのは『汝』ではない」
「へ?」
──顔は姫の方に向けたまま、オルヴェは素早く眼球と警戒を全方向に巡らせる。
しかし周囲からは猫一匹の鳴き声も聞こえず視界にも映るのはこちらが大人しくなるのを静観しているペルセフォネ姫ただ一人。
「あー、ペルセフォネ姫……?」
訳が分からないといった様子のオルヴェを気に留めることもなくペルセフォネのナイフのような視線は八の字眉になったオルヴェの顔、首、肩、二の腕、手の上を流れるように滑って、そして机の上に鎮座する一振りの剣を双眸に捉えるとまるで汽車の警笛のような短い言葉を放った。
「──先程の話についてどう思う、レムリアの宝剣よ」
「ペっ、ペルセフォネ姫!?」
選ばれた予想外の話し相手にオルヴェは思わず舌を噛みかけながら机の上に両手を着いたまま身を乗り出した!
「急にどうしちゃったんですか!?」
「今は汝ではなくこの剣に問いかけているのだ、静かにしていろ」
「で、でも!剣は喋れませんよ!」
何を言ってもペルセフォネは銃口のような視線をベータに向けたままうんともすんとも言わない。
──『ベータ』の存在はアルゴノーツだけの極秘事項。
古代レムリアの遺物だけでも没収物なのに、失われた歴史の生き証人であると分かればもう樹海には入れないだろう。
(ベータ!どうするんだよ!本当にヤバいぞ!?)
(…………)
オルヴェが必死に呼びかけても、まるでただの剣になったかのように机上の剣の声は聞こえてこない。
今のペルセフォネは『無視』が通用する相手ではないのに!
……未だ喋ろうとしないレムリアの宝剣を眺めていたペルセフォネの眉がふっと弛み、先程までの尋問するような語気とは打って変わり哀願するように呟いた。
「レムリアの宝剣よ、私の言葉が聞こえているのなら……汝に『意志』があるのなら私の声に返事をしてほしい。どうか──」
睫毛を下げて指同士を固く結んだ表情は演説や司令部で見せる威厳あるものではない、ペルセフォネ個人としての顔だった。
強風が吹いたら聞こえなくなりそうなほど微かな声はまるで助けを求めているよう──オルヴェはいつの間にかそんな姫君に釘付けになっていた。
『──ごきげんよう。レムリアの正当なる末裔、ペルセフォネ・マギニアス。私はレムリアの宝剣、個体識別名をベータと申します』
──聞き慣れた静かで無機質な、それでもどこか優しげな声が聞こえる。
それは既にオルヴェの頭の中だけに聞こえていた秘密のささやきではなかった。
「!……まさか、本当に喋るとは」
『これ以上隠し通すことはリスクが大きすぎると判断しました。ミス・マギニアス、これまでの非礼をお許し下さい』
まるで生きている人間のような流暢で淡々としたベータの受け答えにペルセフォネは目を見開き言葉をつまらせながらも、つらつらと紡がれるベータの謝罪にペルセフォネは息を呑み、腕を組み、前のめりになって、やがてほぅと大きなため息をついた。
「オルヴェ……汝らは一体」
「──ご、ごめんなさいっ!!」
……そして、オルヴェはペルセフォネの唇が動くより早く真っ青になった顔を机に叩きつけた。
当事者のベータも既に正体を明かした、それに自分を見つめてくるペルセフォネの目が咎めるわけでも怒るわけでもなくただ憂うように揺らいでいて、気がつけばオルヴェの口は勝手に動いていたのだった。
「成程……ベータ殿は大半の記憶を失っており、そして唯一覚えているのが『世界樹の麓へ向かう』使命、か」
「今まで黙っててごめんなさい!!でもベータに悪気はないんです!ベータは自分の使命を全うしようとしただけで……!」
『訂正します。黙っておくように頼んだのは私の独断です。不要な弁論でミス・マギニアスを混乱させないで下さい、マスター』
唖然とするペルセフォネを置き去りに全てを白状したオルヴェはまるで全力疾走した後のように息を切らしながら顔を上げ、一方でベータもまるで何も感じていないかのような淡々とした声とマスターであるオルヴェに対する当たりは強いものの、秘匿の責任は自分のみにある……オルヴェは関係ないと一貫してと主張していた。
「罰ならオレが受けます!!!」
『ミス・マギニアス、マスターを一度退出させて頭を冷やさせる事を提案します』
「……二人とも一旦落ち着いて私の話を聞いてくれないだろうか」
ペルセフォネは半分ケンカのような勢いになってきた庇い合い合戦に圧倒されつつも自分が怒っていない事、罰を与えるつもりがない事を何度か伝えてやると段々と一人と一振りは大人しくなっていった。
「さて……何から話すべきか」
静けさを取り戻した庭園を見渡し、机に肘をついたペルセフォネは息をつきながらオルヴェをチラリと見遣る。
互いに隠していた情報があったと分かった今、オルヴェは先に話していいと促すように細められる女性の蒼い瞳にこくりと頷き、手元の剣の赤い柄を軽く握った。
「さっきベータが言ってた、『正当なるレムリアの末裔』ってどういう意味ですか」
「文字通りの意味だ」
聞き返すようにオルヴェが唇を尖らせるとペルセフォネは自分の右耳に付けていた金属製の耳飾りを外し、空色の多重円の模様が彫られたそれを少年の前に置いた。
「レムリアの宝剣、飛行都市マギニア、そしてレムリアの秘宝を作り出した古代レムリア王家の末裔、それが我らマギニア王家なのだ」
ひゅるりと庭園を突き抜けるような風が吹き、背から注ぐ光にペルセフォネの顔が逆光色に染まる。
風か姫君の告白か、オルヴェは口を開いたまま硬直していたがすぐに酸欠の魚のように口をパクパクさせながら机に身を乗り出して絶叫した!
「ま、マジなんですかぁ!!?」
「勿論。載記の表紙にあるこの多重円は古代レムリア王家のしるし、そしてこの代々伝わる耳飾りにも同じしるしが彫られているだろう」
「本当だ……でもでも、でも!だったらベータの本来の持ち主って……!!?」
……オルヴェは額から瀑布のような汗を流しながら手元に視線を向ける。
『正解ですマスター。ミス・マギニアスは私の正当なるマスターとでも言うべき御方です、何なら今すぐでもマスター権を譲渡出来ますが?』
「じゃあ返したほうがいいんですかペルセフォネ姫……!?正当なる持ち主だし……!!」
「汝らには成すべきことがあるのだろう?それに、私も持ち主として汝らの冒険を期待しているからな」
ペルセフォネ姫に古代レムリア人の血が流れている、明かされた衝撃の事実にオルヴェが腕を組んで考え込んでいると次は私の番だな、とペルセフォネは明るい声で語りだした。
「実は私がベータ殿と話したかったのは鎖の件もあるが『国を永遠に繁栄させる秘宝』について色々と聞きたかったからなのだ」
「国を永遠に繁栄させる秘宝……?」
「以前、我らの目的はレムリア島に眠る秘宝だと言ったな?その秘宝は『国を永遠に繁栄させる』力を持っているのだ」
オルヴェが首を傾げると姫は頷きながら手元のレムリア載記を捲り、最後のページに記されたレムリア島の世界樹と根本の青い光を描いた挿絵を開く。
「詳細は不明だが古代レムリア王国が総力を挙げて作り上げたと伝わっている。私の父は晩年それを追い求め、最後はその入手を私に託された」
「てことはペルセフォネ姫の父さ、王様は今どこに?」
「……数年前、病に倒れそのまま亡くなってしまった」
『……そうでしたか』
「汝らが気に病むことはない。いずれは話す事になっていただろうし私にはミュラーがいるからな」
肉親の死を語るにはあまりにあっけなく淡々とした、まるで何でもないことのように語るような女性の声。
……その凛とした光を宿す目が少しだけ寂しそうに輝いた気がして、オルヴェの胸がチクリと傷んだ気がした。
「それに、秘宝入手は父上の最後の願いだからな。叶えるのは子供として当然の義務だ……ちょっと来てくれ」
「あっはい!」
重たい話題に自ずと黙り込んでしまったオルヴェとベータ。
すると突然ペルセフォネが勢いよく立ち上がると、オレンジの髪を揺らしながら明るい声で二人を庭園の奥へと招いてきた。
『……どこへ連れて行かれるのでしょうか』
「おぉ……これは……!」
軽い足取りの姫君に着いて行くとオルヴェたちの視界、開けた金属柵の先に見えてきたのは並んだ煉瓦色の屋根と白い漆喰の壁、空と天を隔てる真っ白な船体、そして青空を貫かんばかりに聳える世界樹だった。
「見てるだけで気分が爽やかになるっていうか……!」
「どうだ、素晴らしい景色だろう?挫けそうな時、私はいつもこうやって街を眺めるんだ」
「ええっ!?ペルセフォネ姫も落ち込む時があるんですか?」
『その言い方は失礼ですよ、マスター』
「ふふ、こうやってマギニアを眺めれば王である私が守るべき民を、国を直に感じられる……そうすればこんな場所で立ち止まってなんていられないと思い出せるのだ」
何度も信じられないといった様子で見てくるオルヴェと彼の素直すぎる態度を咎めるベータを見ていると、まるで彼らが年の離れた兄弟のようでペルセフォネの顔はいつの間にか年相応のうら若き乙女の笑顔に戻っていた。
──影も形も分からない秘宝を探せという普通の人なら投げ出してしまうであろう任務。
だからあの時、秘宝の一端であるレムリアの宝剣を目の当たりにして心底安心したのだ。
言い伝えは真実であった、父は間違っていなかったと。
「長くなったが汝らの元気な顔を見れて私も喜ばしい限りだ。汝の仲間には既に命じたが回復次第、碧照ノ樹海の獣王ベルゼルケルの捜索にも協力して欲しい」
「オレたちアルゴノーツに任せて下さいっ!」
『私もマギニアとの関係は引き続きマスターを通じて継続したいと考えています』
声を被らせながら胸を張る少年と剣の姿にペルセフォネは愉快そうに目尻を下げる。
「レムリアの宝剣の調査に世界樹までのルート開拓……労多き任務になるが頼んだぞ。オルヴェ、そしてベータ」
ペルセフォネはそこまで言うともう一度右手を差し出し、オルヴェとベータは内なる好奇心と新たな指令に目を輝かせながらその手を握りしめた。
3
「ただいま〜」
それからオルヴェがペルセフォネ姫との対談を終え、入院道具を抱えて湖の貴婦人亭に戻って来たのはもうお昼の鐘が鳴り終わった後のことだった。
カウンターでだらけていた店番の少女ヴィヴィアンは元気な少年の姿を見るなりまるで信じられないものを見たような、だけども安心したような声で話しかけてきた。
「おー、ホントに帰ってきた……大ケガしたって聞いたけど大丈夫なの?」
「まあな、マーリンさんも久しぶり」
……マーリンさんは相変わらずオルヴェの挨拶にもナデナデにも無反応だった。
「アリシアたちは?」
「いつも通り冒険に行ってるよ、でも今日は遅くまで帰らないってさ〜」
「そうか」
自分とヴィヴィアン、それとマーリンさんしかいないフロントを見ながらオルヴェはとりあえず荷物を脇に置きソファーに腰掛けた。
……自分を置いて既に冒険に戻った仲間たちに一抹の寂しさを感じながらも、入院明け特有の体のだるさに身を任せ白樺の窓枠の向こう側をぼんやりと眺めていた。
「あ、忘れるところだった。オルヴェさんに手紙来てるよー」
「手紙ぃ?」
半分眠りかけていたオルヴェは目を擦ると上体を後ろに逸らして幼げな声の方を振り向いた。
背後のカウンターからは自分と同じように仰け反った姿勢のヴィヴィアンがつまんだ四角い紙切れを催促するように揺らしており、オルヴェは首を傾げながらも封筒を受け取った。
「ひょっとしてファンレターだったりしてな」
「どうだろ〜?差出人の名前も住所も無いし、郵便屋さん不思議がってたよ」
「ふぅん、でもただの恥ずかしがり屋なだけかもよ」
……暢気で気の抜けた、でもどこか訝しむような様子の少女から手渡された手紙は確かに謎めいていた。
まっさらな白の封筒には『オルヴェさんへ』と書かれた黒以外にシミ一つ無く、よく熟れたクランベリー色の封蝋に浮き出た羽のある蛇らしきマークに見覚えはない。
錬金術師(アルケミスト)の紋章がこんなデザインだった気もするが自分の頭の中を掘り返してみても錬金術師の知り合いが居たような記憶はない。
『マスターにファンレターとは趣味が悪いですね』
「ふん!さーて、中身はなにかな〜」
……一通り眺めた後、オルヴェは肩をすくめつつ封蝋を切って中身を取り出す事にした。
ファンレターなら問題なし、イタズラなら帰ってきた仲間たちにどやされる前に片付けてしまえばいいだけだ。
だが期待を胸にオルヴェが封筒から取り出したのは手紙ではなかった。
──それは空きスペースにまるで手紙のような文字が書き殴られ、『自分以外の顔が黒塗りにされたアルゴノーツのギルドカード』だったのだ。
“
拝啓 オルヴェ殿
この度は獣王ベルゼルケルの討伐、心よりお祝い申し上げます。
オルヴェ殿が獣王ベルゼルケルを『レムリアの宝剣』を用い屠ったと聞き、是非ともレムリアの宝剣をこの眼で拝見したくお手紙を出させて頂きました。
皇帝ノ月十六日の午前一時に同封してある地図の場所、碧照ノ樹海の外れまでレムリアの宝剣を持って一人でいらして下さい。
なお手紙の内容は秘密厳守、アルゴノーツの皆さまにも衛兵にも誰にも話さず明かさぬようよろしくお願い致します。
アルゴノーツの皆様の冒険が末永く続くことを願っています より
“
「……こ、これは──」
「……どうしたのオルヴェさん?何が書いてあったの?」
「うおわっ!!?」
送られてきた異常なギルドカードに見開いた目玉がくっつきそうなほど近づけていたオルヴェは背後からの不意打ちに大声を上げて飛び上がった!
「フシャーッ!!」
「ぐふっ、い、いたた……」
「二人とも!?」
百本の爆竹が一斉に破裂したような悲鳴にマーリンさんは全身の毛を逆立てながら飛び出し、ヴィヴィアンは頭上から発射したマーリンさんに踏まれカウンターテーブルに顔面を強打した。
「もう、一体何が書いてあったんだよ……オルヴェ」
「あっ、後で説明するから!じゃあなヴィヴィアン!!」
鼻を赤くしたヴィヴィアンと尻尾をモップみたいにして威嚇するマーリンさんを心配しつつも、オルヴェは急いでギルドカードをポケットにねじ込むと何度も足を絡ませながら自室へと退散していった。
「ヤバいって!これ絶対ヤバい!!」
自室に着くなりオルヴェはベッドに手紙とベータ以外のすべての荷物をぶん投げると、ベータの柄を掴んでもう一度件の手紙に目を通す。
柄に滲む少年の手汗や心拍数を感じ取ってかベータは普段よりも早く言葉を返した。
「ベータ!これって、きょ、脅迫文だよな!?それも今夜って……!!」
『落ち着いて下さいマスター……確かにこの手紙は脅迫文と言っても過言ではないでしょう』
「じゃあやっぱり衛兵隊に──」
『ですがマスターは冒険者。マギニアの法律ではトラブルは基本当人同士で解決するようにと定められています』
「どんな奴が送ってきたかも分からないのに!?」
『ましてや、たった一通の脅迫文では衛兵隊に通報したところで何も変わらないでしょうね』
「そんな……」
どうにもならない状況に石のように硬直するオルヴェとは対照的に、淡々と事実を告げるだけのベータだったがやはり内心穏やかではないのかそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。
……衛兵隊に通報するのも不可能、そして相手はオルヴェとベータのみならずアルゴノーツの全員の顔を知っているのは確実。
レムリアの宝剣を求める人間がそれ以外に手を出さないと断言できるだろか?
この作戦が上手くいかなければもっと別の、より過激で、残忍な策を練ってくるかもしれない。
そうなればレムリアの宝剣を手に入れるための『生き餌』にされるのはオルヴェの大切な友人たちや親しい人々かもしれない。
(何か、何か手掛かりは……!!)
縦読み、飛ばし読み、後ろから。オルヴェが何度頭を捻ってもギルドカードには読んだ通りの内容しか書かれていない。
『レムリアの宝剣(私の正体)を知っているような相手に下手な策は通用しませんよ』
「もう、本当に誰がこんな手紙送ってきたんだよ……!」
頬に溜まる唾液に喉仏を何度も上下させながら怪文書を睨みつけていた少年だったが、ある一文が横切った直後その青い瞳孔が小さくなった。
「……なぁ、今気づいたんだけど」
『どうかしましたか』
「ベータだけ、レムリアの宝剣が欲しいなら盗むなりすればいいのに──」
促すように問うてくる相棒に頷きながらオルヴェはギルドカードを指さした。
「──なんでオレごと呼び出す必要があるんだ?」
『……マスターにしては冴えてますね』
……相変わらず素直じゃないな。
そんな事を口にしたら捻くれ者の彼はヘソを曲げそうなのでオルヴェはニヤリと得意げに歯を見せるだけに留めてやった。
『レムリアの宝剣が欲しいだけならわざわざこちらに伝える必要なんてない。それこそ司令部を偽って没収しても、なんならマスターを殺してでも奪い取ればいい』
「なのに、コイツはオレを呼び出したんだ!」
──オルヴェが必ず来るように仲間への危害をちらつかせ、ギルドカードに不気味な落書きまで施して。
「ここまで誘われたらやっぱり行くしか無いよな」
『もし行くのなら相応の覚悟、それから武器の準備が必要です。……相手は複数人かもしれない、もし捕まったら殺されたり売り飛ばされるかもしれないという警戒心をお忘れなく』
「大丈夫!もし仮に悪い人だったら第一の鎖を解放して逃げればなんとかなるだろ?」
『今やったら開放骨折しますよ。私個人としてはマスターの身体がどうなろうと知りませんが……』
「……まぁ、なるようになるしかないって!」
わざと罠の中に飛び込むという思考回路、全身の骨が砕ける可能性にも怯まない度胸、そんな主人の生き様に最早心配性を隠そうともしなくなったベータに向かってオルヴェは自らをも奮い立たせるように親指を立てる。
……仲間を守るため、ベータを守るため、様々な理屈や考えが胸の中で混ざり合うが、オルヴェを罠の中に飛び込ませたのはやっぱり詳細不明の差出人に対する好奇心であった。
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手紙代わりのギルドカードを握りしめたオルヴェはベータの剣先からこうこうと漏れる青白い光に導かれ、草木も眠る碧照ノ樹海の若草を踏み進んでいた。
深夜一時の時間指定に備え、眠くもないのにベッドで横になり、夕方に帰ってきた仲間たちが部屋を覗いてもずっと眠ったふりをしていたし、出発する時もヴィヴィアンや他の冒険者がいない時を見計らい音を立てずに外出した。
……つまり、オルヴェとベータがこの場所に来ているのを誰も知らないのだ。
……怪文書の送り主以外は。
『マスター、目的地周辺です』
「……」
甲高いアラームと声にオルヴェは歩みを止め茂みの中から周囲を見回す。
そこはベースキャンプ設置のために切られた丸太があちこちに積まれている空き地だった。
普段の探索でもたまに見かけるような痕跡……時間のせいかそれとも何か別の要因があるのか、鳥の声どころか虫のさざめきすら聞こえないほどこの場所は静まり返っていた。
『周辺の生命反応をスキャンします……5m、10m』
「……おい!約束通り、来てやったぞ!」
ベータが周囲の生命反応を確認する中、空き地に足を踏み入れたオルヴェはどこかにいるであろう自分たちを呼び出した人物に向かって声を張り上げる。
……ベータの忠告通りできるだけの準備をしてこの場所へ来た。
普段はエドに任せているので初日で箱にしまった盾も持ってきたし、逃げる為の煙幕や轟音弾といったアイテムも購入済みだ。もちろんネイピア商店じゃ無い場所で。
だが、そんなオルヴェたちの準備と緊張は裏腹に返事もなければ怪しい生命反応も大声につられてやってきそうな魔物すら見当たらなかった。
「あのさ……やっぱイタズラだったのかもな」
『それなら良いのですが』
「いや、もう少し待ってみようか──」
そうならそうであって欲しいとオルヴェが半分安堵しながら肩の力を抜いたその時だった。
『──マスター!左です!』
「っ!!ぐぅ!?」
咄嗟に横に構えたベータで防御すると同時にオルヴェの右腕に強い衝撃が走る!!
右腕から全身へと広がる殺しきれなかった衝撃に思わず潰れたようなうめき声を上げ、遅れて金属がぶつかり合う不協和音が火花を散らす。
未だ衝撃で震え続けているような腕の痺れに歯を食いしばりつつ、オルヴェは跳ねるようにその場から距離を取る!
(ちゃんとベータで受けたのに腕の痺れが取れねぇ……どんなパワーだよ!?)
追撃がいつ来るか、相手は何人いるのか、背中全体に浮き出る冷や汗を無視してベータを構えつつ痺れた右手を無理やり押さえつけ風の音に耳を澄ませる。
森と土の匂いだけが漂う深青の森の中で耳の奥の奥まで神経を尖らせていたその時、背後から聞こえてきた謎の声に、オルヴェは赤いマントを翻しながら勢いよく振り向いた!
「……まさか本当に一人で来るとはな」
「っ!?」
……切って積まれた丸太の上。
先程まで空気しかなかったはずのそこに佇んでいたのは、夜風に青いマントと二つ結びの髪を靡かせている仮面の男だった。
夕暮れのような赤色の髪をオルヴェと同じように立たせたヘアスタイル、宵闇色の鎧と同じ材質の鋭く尖った仮面は目全体を覆っておりその奥の表情を伺うことはできない。
右手にはベータと似たような赤い剣を握っており、妖しく光る真紅の刃は先ほどの猛撃にも関わらずヒビどころか刃こぼれすらしていない。
「お、お前は誰だっ!!?」
獣王ベルゼルケルとはまた違う『強者』を目の当たりにして身体が固まるが、オルヴェは剣先を鋭く突きつけると敵意剥き出しの視線を男に投げ付けた。
……この人物が手紙を出した張本人なら次は何をしてくるのか分からない!
だが男は精一杯の虚勢と敵意を向けられたというのに苛立つことも無ければ嘲笑することも憐れむことも無い。
その視線はまるで蟻を見る象のような『完全なる無』。
背すじに垂れる汗が全て氷の礫になったような悪寒を感じつつ、オルヴェがつばを飲み込むと仮面の男は淡々と低い声で言葉を発した。
「……私はディオスクロイ。レムリアの宝剣の番人であり、レムリアの宝剣に選ばれた勇者を導く者だ」
「れ、レムリアの宝剣の『番人』……!?」
切っ先を向けたままオウム返しするオルヴェに男──ディオスクロイはまるで出来の悪い子供を見るようにため息をつきながら、その緑色の瞳を閉じて諭すような声色で一人呟いた。
「警戒するのも当然か。なにせ肝心のレムリアの宝剣が記憶喪失、マギニアも宝剣どころかレムリアの秘宝の全容すら掴めていないのだから」
「!?なんでそれを……」
……レムリアの宝剣に番人がいるなんて初耳、それにマギニアの目的やベータが記憶喪失であることを知っているのは仲間たちとペルセフォネだけ。
(そんな、そんな奴が本当にいるのか!?)
(私の記憶データベースに『番人』なる存在は記録されていません……ですが、私が忘れているだけなのかもしれません)
ベータからの答えもいつも通りの詳細不明。
だがその言葉は普段の断言するような口調ではなくオルヴェに対して『これであっているのか』と尋ねるような、そんな不安感が滲んでいる。
すぐにオルヴェは見開いていた目とぽかんと開いていた口を真一文字に結び直し、男に向かって不機嫌そうに鼻を鳴らしてみせた。
「で!そのレムリアの宝剣の番人さんがオレたちに何のご用事で?」
「私の使命はお前を一人前の勇者に鍛え上げること……元よりお前に危害を加えるつもりはないから安心しろ」
「……」
啖呵を切りながら向けた人差し指を回してみてもディオスクロイの顔は笑ったり怒るどころか鋼鉄や氷のように固い。
なのに語る内容はこちらを助けるだとかサポートするだとか友好的な内容なのが余計にオルヴェの予感に引っかかるのだ。
どこまで自分たちのことを知っているのか、何が目的なのか、腕の痺れが薄れてきても尚ディオスクロイへの疑いは晴れない。
それに、仲間をダシに使ってベータにも怪しまれているような人物をすぐに信用するなんてオルヴェのリーダーとしてのプライドが許せなかった。
「……こんな脅迫状みたいな手紙を送ってきておいて、ハイそうですかって信じ──」
『敵対生命反応検知!すぐ近くに接近中!』
オルヴェがへの字の口を開いた瞬間、ベータの魔物の接近を知らせる警告が脳内に響く!
ベータを構えたその直後、ディオスクロイの背後から今の今まで息を潜めていたバッタの魔物たちが一斉に飛び出して来た!
「!ベータ──ッ!」
オルヴェは咄嗟に地面を蹴り飛ばすとディオスクロイの後ろ目がけて突進する!
──相手が何であれ目の前で魔物に襲われる人を見捨てるなんて英雄の風上にも置けない行為だ!
腕をしならせ加速のついたベータの刃が魔物に迫る直前、それは一瞬の出来事だった。
「……遅い」
「──ギィィ!!」
ディオスクロイは振り向きもせず魔物の蹴りを半身で躱すと同時に手首と肘を僅かに動かす。
閃光のような赤い線が空中で光ったその直後、ディオスクロイに迫っていた魔物は刹那の内に足先から脳天がまるでバターのように切り裂かれた!
「な……!」
仲間がやられた怒りでキチキチと鳴く羽、跳ねる直前に胴体サイズにまで膨れ上がる脚部、空気を食いちぎる顎、虫特有の感情の読めない複眼。
その全てがディオスクロイが一歩踏み出す度に弾け、真っ二つになり、彼の歩いた後に血の道が出来てゆく。
あまりの早業に立ち止まってしまったオルヴェには最早赤い閃光と遅れて響く魔物の断末魔しか追いかけられなかった。
青いマントにシミ一つ付けず戦う男の姿にオルヴェは無意識の内にベータを下ろし、まるで英雄劇を見る子供のような星の目で『英雄』の戦いに見惚れていた。
「っ!!」
「あ──」
その達人技に見とれていると不意に赤い刃がオルヴェの真上に現れた!
斬られる、咄嗟に降りてくる刃に両腕をかざそうとした瞬間赤い剣の表面からキラキラとどこかで見たような青白い粒子が巻き起こる。
放たれた『それ』はオルヴェが振り向くよりも早く駆け抜けると背後に迫っていた最後の一匹を十六等分に叩き斬った!
『……あり得ない、器具(わたし)無しであれだけの濃度の残影を出すなんて』
ベータの声が聞こえているのか、その言葉に反応するように魔物にとどめを刺した『蒼いディオスクロイ』は顔を上げると瞬きもせずに青白い瞳でオルヴェたちの方を眺める。
「ざ、残影……!?」
最初の戦いでオルヴェが出した残影はもっと幽霊のように向こう側が透けていたし、十秒もすればコーヒーに入れた砂糖のように霧散していた。
だがディオスクロイの残影は十秒どころか『一分以上』オルヴェの前でゆらゆらと陽炎のように揺らいでいるのだ。
柄と鞘がぶつかる音が小さく響くと同時に残影は役目を終えたように青白い光の粒になりながら静けさを取り戻した夜空へと消えていった。
「……理解したか?これがお前と私の実力の差だ」
「っ!」
「レムリアの宝剣に頼らなければ残影一つまともに出せないお前に何が出来る?」
いつの間にか背後に迫っていたディオスクロイの黒い仮面に驚いたオルヴェは思わずその場でたたらを踏む。
蛇のような緑の瞳に見下ろされ全身を強張らせるがやがて男は鼻から小さな笑いを漏らしながら仮面の奥の光を細めた。
「何が言いたい……!!」
「私からの試練を全て達成すれば、その剣は真の力を取り戻しお前は世界の英雄になれる……達成できれば、だがな」
……挑発するような低い声でそう告げるとディオスクロイは竜血樹の林へと姿を消す。
オルヴェは先ほどの戦いと嘲るような言葉にしばらく呆然と立ち尽くしていたが、一拍遅れて腹と胸の中が煮えたぎるように脈打ち始める。
「……ああいいさ、望むところだ!!」
真っ赤になった鼻から憤りを噴き出しながら、いざなわれるように少年も林の中へと消えていった。
鳥の声すら聞こえない夜の森をディオスクロイは迷いなく進み、その後ろをずんずんと枝を踏みしめながらオルヴェが歩いていると呆れたようなため息が聞こえてきた。
『……マスター、本気であの男の話を信じるのですか?』
「あ、ベータ」
ディオスクロイが現れてからというものの、危機的状況を除いて全く喋ろうとしなかったベータの声にやっとオルヴェも笑顔を取り戻したのだが、ベータの視線が向く先は先導する男の背中。
視界を共有しているから分かるのだが、それも害虫でも見るかのような不信感丸出しの目で睨みつけているのだ。
「確かにああ言われたらムカつくけどベータに頼りっぱなしなのは事実だし……」
『私が聞きたいのはそういうことではないのですが……』
「なにか言ったか」
「っいいや!別に?」
オルヴェは咄嗟にベータを鞘の中に押し込むと訝しげにこちらを見つめていたディオスクロイの側へと駆け寄る。
男が指差した先には碧照ノ樹海のように迷路状の開けた平地と泉が広がっており、ジューシーな果実や花の香りがオルヴェの鼻腔をくすぐる。
「ここは初心者向けの小さな果樹林と呼ばれる小迷宮。お前のような新米なら絶好の鍛錬場になるだろう」
「初心者向け、なぁ……ここで何をすれば良いんだ?」
「お前への最初の試練、それは──」
直後、ディオスクロイの言葉を遮るように二人の頭上を黒い影が飛び越える!
紫の毛皮とトライデントのようなエナメル質の角、泥土で研がれ弧を描くリーパーの鎌のような蹄。
赤い瞳の獣は細身の体と長い脚で泉の対岸へ華麗に着地すると、見慣れぬ二匹の生き物を訝しむように頭を傾げた。
「──この迷宮を住処とする狂乱の角鹿を一人で討伐することだ」
「きょ、狂乱の角鹿ぁ!?」
狂乱の角鹿と呼ばれた魔物はオルヴェとディオスクロイを完全に無視しそのまま一飛びで果樹林の中へと消える。
……狂乱の角鹿といえば冒険者の逸話で必ず語られる魔物だ。
甲高い鳴き声や特徴的なステップで得物を混乱させ、前後不覚になったところを槍のような角で貫き百キロ超えの全体重で踏み殺す。
……昔の自分なら即座に特攻していただろうが今のオルヴェの足には経験という重い鎖が巻き付いている。
中々踏み出せないでいると背後からフンとバカにするように笑われ、オルヴェが憤りながら振り返ると見下すような笑みを浮かべた男のニヒルな笑みが突き刺さる。
「どうした?この程度で怖気づいたのか?」
「!!……ああやってやるよ!狂乱の角鹿を倒してお前のいう試練を乗り越えてみせる!」
闘志に火がついたオルヴェが見たかったのか後は自力で頑張れとでも言いたげに腕を組んだまま半歩下がる男をもう一度睨み、オルヴェは剣を抜くと未知の樹海へと突撃していった!
「まずはそこら辺の雑魚で手馴し──」
「行こうぜベータ!……ってうわぁ!なんだコイツら!?わわっ!!?ディオスクロイ〜〜ッ!!?」
「……」
……勇猛果敢に飛び出した直後にマンドレイクたちに絡みつかれ地面の上で悲鳴を上げながら助けを求めてくる少年にディオスクロイは静かに頭を抱えるのだった。
あとがき
SQXのギルド『アルゴノーツ』 第二迷宮の後編…のその1だよ!
ペルセフォネ姫とベータの邂逅、そしてオルヴェとディオスクロイの遭遇!
ディオスクロイの語源はアルゴー船の乗組員であり、ふたご座のモチーフになった双子の英雄『ディオスクーロイ』。
ちなみにこのディオスクローイ、アルゴー船に乗り組んでいた時この双子の頭上に光(セントエルモの火)が灯ったところ嵐が静まったので航海の守護神ともあがめられているのだ。
ここまで要素が重なればもう絶対このネタにするしかないよね…!!?
ラグナロクの覇者はギリシャ成分多めで行かせてもらいます!!(北欧神話成分は原初の女神の方に集中させる予定!)
なのでこの世界線の『彼ら』の本名はきっとカストールとポリュデウケース、Ⅲの同姓同名の人物は目を瞑ってくれ!!リッキィいるし!
時間は掛かっちゃったけど一晩寝かせて修正したり、サイト自体を読みやすく改装したりと色々やってたので個人的には満足!
そこまで文字数が多くないのに一旦区切ったのはのお話『side B』が間に入っているから。