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……磁軸を抜けた先に広がっていた景色は霊堂のものとは違う、明るい翠緑と木漏れ日に溢れた森だった。 眼前に広がる光景は先ほどの霊堂の欠片もないくらい自然と緑で埋め尽くされており、聞こえる鳥の声も匂いすら完全に霊堂と別物である。 離島とは言え僅か一キロ程度しか離れていないはずの場所なのに、ここまでの変貌っぷりに冒険者たちは言葉を失うしかなかった。 「枝分かれした低木、幹が膨らんだ樹木……間違いない」 「これって…碧照ノ樹海だよな?」 オルヴェやエドの故郷がある西の街タルシス。 そこから北に広がる大草原を進むと辿り着く巨大なバオバブ群が乱立する緑と泉の迷宮──それが『碧照ノ樹海』だ。 幼い頃から聞かされていた冒険の舞台に今、自分たちは足を踏み入れているのだ。 「話で聞いた通りの迷宮ですね、オルヴェくん!」 「ああ……!すっげぇ……!でも何でタルシスじゃないのにあるんだろう?」 「よね。あなたたちの話を聞く限りだとほぼ同じ景色なんでしょ?」 オルヴェとエドは子供みたいに目を輝かせながら大はしゃぎで走り回り、ヴィーザルとイリスも控えめながら一変した植生に興味をそそられている。 対してアリシアが周囲を見渡しながら興味深そうに唸って、首をかしげて問いかけてきたのでオルヴェはその通りだと胸を張った。 ……というか、実物を見たことがないので大体でしか答えられなかったが。 「とにかく似てるのは分かった。どんな魔物がいる」 「えーっと、森ネズミだろバッタだろ……あとそれから」 覚えている魔物を指折り数え水を得た魚の如く喋りまくるオルヴェの話を聞きながら、ヴィーザルを筆頭に冒険者たちは各々武器を手に取って歩みだす。 我らがリーダーが言っている魔物らしき影や気配は今のところ皆無、だが樹海に足を踏み入れた以上いつどこで何が襲ってくるか分からない。 自分の世界に入って樹海の知識を熱弁していたオルヴェも、歩き出した仲間に気が付くとすぐに足をもつれさせながら駆け出そうとする。 『マスター、碧照ノ樹海とは?』 「え?」 ──腰に差していたベータの問いかけはオルヴェだけではなく、先を進んでいた冒険者たちの足も絡め取ってその場に釘付けにした。 『私のデータベースにそのような樹海群は登録されていませんよ。 ……そもそもこのレムリア島にはここまで大規模な樹海は存在しません』 「どういう事だ?お前には見えないのか?」 突然意味不明な事を言い出したベータをオルヴェは眉をひそめて握りしめてやる。 ……こうすれば勝手に共有している自分の視界から眼前に広がる碧照ノ樹海がよく見えるはずだ。 見せつけるようにベータを構えて歩く度に短い電子音と考え込むような長い沈黙が続き、やがてベータはどこか困惑したように頭を振った。 「恐らくですが、私が眠っている間に島の生態系が大きく変化したようです。警戒を怠らないでください、マスター」 ベータはゆっくりと、しかし所々押し黙り、言い淀みながら言葉を紡ぐ。 ……それはまるで信じたくない事実を無理矢理飲み込んで吐きそうになりながら喋っているようで、気が付けばオルヴェは膨らませていた頰をしぼませ真剣な眼差しで青い剣を見つめた。 「ベータさんって何年眠ってたの……?」 「……現時点では、分かりません」 イリスの問いかけにそれだけ答えると、もう話すことは無いと言わんばかりにベータは再度沈黙した。 ……樹海に生えるバオバブがパーティで一番背が高いオルヴェの何十倍もの大きさに成長するまで一体どれだけの時間が必要なのだろうか。 それも、一本だけではなく数え切れないほど。 「き、君たちどこから来たんだ!?」 不意に響いた葉擦れの音と大声に思わずオルヴェはベータの切っ先を声の方へ振るい、イリスは悲鳴をあげて跳ねながら槍を構える。 ……振り向いた先にいたのはマギニアの腕章をつけた衛兵だった。 衛兵は突然現れたアルゴノーツと赤く輝く樹海磁軸を交互に見つめながら口をパクパクさせる。 ……まるで幽霊でも見たような、剣を抜くどころか今にも腰を抜かしそうな衛兵の様子にアリシアは脱力すると黙って星術器の電源を落とし前へと歩み出た。 「私たちはギルド『アルゴノーツ』の冒険者でして──」 ◆◆◆ 「──なるほど、君たちが司令部から言われていた例の冒険者ギルド……」 「はい!オレはオルヴェ、ギルド『アルゴノーツのリーダー』です!それでこっちはオレの大事な友達です!」 「ふふ、随分と仲が良いようじゃないか」 大困惑しながら驚く衛兵にアリシアたちは司令部の命令で樹海磁軸を起動したこと、それに触れてこの島に飛ばされたことを告げた。 ……本当に夢や妄想だとしてもあまりにバカバカしく信じがたい荒唐無稽なストーリーだな、とアリシアは心の中で自嘲した。 最初はホラ話みたいな本当の話に石化したように目と口をあんぐりと開けて固まっていた衛兵だったが、司令部からの命令や樹海磁軸という単語には覚えがあったらしく今は抜けた腰をはめ直し司令部から受けていた指示通り樹海に現れたアルゴノーツをベースキャンプまで送り届けていた。 ……どうやらあの場所は『本物の』碧照ノ樹海ではなかったらしく、少し進むと前の島でも見たような葉の茂った木々の小道が現れる。 「君たちが樹海磁軸を繋げてくれたお陰でわざわざ小型船でこの島に渡る必要がなくなりそうで助かるよ」 「えへへ、役に立てて私も嬉しいよ!」 「……だとして、何故俺たちを最初に見た時あんなに驚いてたんだ?」 歩きながら無邪気に喜ぶイリスとは対照的にヴィーザルは少し離れた位置から衛兵に言葉を投げかけた。 目付きの悪いアーモンド色の瞳に睨まれた衛兵だったが、特に気にすることもなく頭の中から記憶を取り出すように指先をくるくる回してみせた。 「ぁあ、君たちが転送された樹海……碧照ノ樹海の探索前に必ず冒険者はベースキャンプで記録を取るからだ」 「記録?」 「どこのギルドなのか、何名なのか、代表者は誰なのか……この島と本拠地は距離があるからな、不慮の事態の保険や救助活動を効率的に行うために必要だったんだ」 それも樹海磁軸の開通でいらなくなりそうだ、と衛兵はまた日は高いのにまるで仕事終わりのように腕と背を伸ばし肩を回して気持ちよさそうな声を上げる。 相当雑務に堪えていた様子の衛兵にイリスたちはつい吹き出してしまった。 暢気な衛兵と雑談を続けているうちにほとんど樹海の中と変わらないあぜ道は段々と小石や茂みが取り除かれ整備された道に変わってゆき、やがて開けた草原が現れる。 早足で近づくと丸太で作られた小屋や切り株の間に沢山の衛兵や冒険者たちが集う広場が見える。 空に立ち上る煙と漂ってくる香ばしい匂い、商店街か酒場かと思うような喧騒と人気。 レムリア島に来てまだ一月も経っていない、しかも樹海の一角だというのにほとんど街と変わらない人間の営みにオルヴェたちは息を呑んだ。 「着いたぞ、アルゴノーツ。 ここがベースキャンプ……『幽寂ノ孤島』攻略の最前線だ」
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「碧照ノ樹海までの道、教えてもらったわよ……って何で食べてるの」 「いやぁ、美味しそうな匂いがしたからつい!アリシアも食べるか?」 冒険者用のテントで手続きを終えたアリシアが見たのは鍋を囲って暢気に食べ物を頬張っているオルヴェの姿だった。 ずいっと無造作に差し出された木皿には焼きたての肉やみずみずしい果物が粗雑に盛り付けられており、アリシアは下まぶたをひくつかせた。 ……さっき自分が代表して衛兵の詰め所で手続きを済ませてきたのだが、その間にもこの少年は何か食べていたのだろうか。 朝ご飯を食べてまだ一時間もたってないはずだが……信じがたい話だが四六時中動き回る彼にとってはこれが普通なのかもしれない。 「あのねぇ、私たち遠足に行くわけじゃないの。探索前にご飯食べすぎて、魔物から逃げ切れなくても知らないわよ?」 「逃げ切れるし!ん、ありがと」 頭痛と眩暈がしてきた頭を振るい、アリシアは無駄に自信満々な幼なじみの返答をあしらいながら頬についた食べかすを拭ってやる。 ……自分が何を言っていたのかも忘れて脳天気に感謝してくる少年を見ているとなんだか毒気を抜かれてしまいそうだ。 「バカやってないで行くぞ」 「わーったよ」 ヴィーザルにつま先で背中を小突かれオルヴェはむぅと鳴くと、皿の上に乗せられた大きめのステーキとそこら辺の草らしき炒め物を胃袋に詰め込んで立ち上がった。 別の冒険者が連れている動物と触れ合うイリスや食べ物を買い込んでいたエドを回収し衛兵から教えてもらった通りに、というか先駆者たちの手で歩きやすく踏みならされ整備された道を進んでいると碧照ノ樹海特有の植物群が見えてきた。 今度こそ『本物の』碧照ノ樹海に足を踏み入れたのだ。 パッと見、磁軸周りの森と何も変わらないように見えるが、足元の踏み固められた草の道と樹海特有の『誰かに見られている』感覚が防具やマフラーの奥にある柔肌に突き刺さる。 まるで巨人の胃袋に自ら入っていくような未知への恐怖と期待に身体を震わせながら、新米冒険者たちは真っ白な羊皮紙に筆を走らせた。 「ここも見覚えないのか?」 『はい、データベースに該当なしです』 「そうかぁ……」 一応取り出したベータに周囲を見せてやったが反応は変わらず、オルヴェは項垂れながらベータの切っ先をくるくると回す。 青いガラスのような光沢のある刃に映る自分も心做しか落ち込んだ表情をしており、そんな自分の頬っ面を叩き胸の中に溜まった重い空気を鼻から吐き出して大きく開いた瞳でベータを見上げた。 「心配すんな!ベータの記憶も必ずどこかにあるはずだ!」 『はぁ……』 「よーし!これからがオレたちアルゴノーツの伝説の始まりだ!気を引き締めていくぞ、ヴィーザル!……ヴィーザル?」 決めポーズを決めながらベータを片手に駆け出そうとしたオルヴェは踏み出した足を空中で止める。 ……親友ヴィーザルの返事がなかったのだ、普段ならやる気なさげに答えてくれるか肩を軽く小突いてくるのに。 何かあったのか、と振り向くとヴィーザルは後ろからやってきた重鎧を身にまとった褐色肌の大男に押しつぶされて地面にひっくり返っていた。 「ヴィーーーーザーーール!!!??」 「うぉぉ!?いっけねぇ!大丈夫か!?」 「オリバー!持ち上げ過ぎだ!首が、首っ!」 オルヴェとオリバーと呼ばれた大男は同時に絶叫しヴィーザルを揺さぶり起こす! 重鎧の大男に潰された上に大慌ての男たちに振り回されるヴィーザルの顔色はだんだんと青から土気色に変化し、大男のそばにいたメガネの青年が大慌てでヴィーザルを取り上げると素早く地面へ離してやる。 「げほっ……」 「わ゛ーん!!ゔーぢゃんがぁぁぁっ!!」 解放されて咳き込むヴィーザルのそばで泣きじゃくるイリス、二人を庇うようにアリシアとエドは間に入ると謎の冒険者を睨みつける。 「大丈夫かヴィーザル!?一体誰なんだお前ら!オレの仲間に何しやがる!」 「本当に悪かったって!だから落ち着け!ほら!」 そしてオルヴェはオリバーと呼ばれた大男に飛びかかりまるで子犬のように首の後ろを掴まれ空中でじたばたと暴れ回っていた。 今のところ敵意らしきものは感じられないが、いつ気が変わって武器を抜くのか分からない。 平和に解決するなら止めるべきだろうが流石に友達を潰されても笑って許せるほどエドもアリシアも穏健派でも冷静でも大人でもないのだ。 「うおぉぉおお!ヴィーザルの仇だ……あれ?」 仲間の敵討ちだと不安定な体勢で暴れていたオルヴェの頭上が不意に暗くなる。 魔物かと思った影の正体は視界一面に広がるのは深い紺碧の夜空だった。 「ふぅ、君も落ち着いたみたいだね」 「えっと、誰だ?」 目の前に広がる夜空に困惑していると、その闇の中から先ほどのメガネを掛けた青年が困り顔で出てきた。 よく見れば肩にはアリシアと同じ星術器らしき銀色の機械を背負い、着用しているローブにも金や銀の星模様が刺繍されている。 妙に心癒される夜空はメガネの青年の手のひらから出ているらしく、集められた青や緑の光を放つエーテルがコーヒーに入れたミルクのように溶けて墨色の靄に変換される様はアリシアにも見せてもらったことのない不思議な光景だった。 「改めてウチの連れがすまなかった。 僕はマルコ、そしてこっちが相棒のオリバーさ」 マルコは子供っぽく口を開けて星術を見入るオルヴェに安堵するように頷き、肩の星術器を操作すると視界を覆っていた黒い闇がカーテンのようにサッと閉じられる。 ……そして青空の広がる頭上からオリバーと言う名前の大男がニッコリと歯を見せて親指を立てた。 「いやぁ、まさか俺も探索早々後輩を撥ねるとは思ってなくてな!」 「……」 「ヴィーザルまだ怒ってんのか?」 伸ばされる親愛の手のひらにもヴィーザルはぷいとそっぽを向くとオルヴェの方へ駆け寄ってしまい、恨みがましい光を堪えたアーモンド色の瞳にオリバーとマルコは困り眉になる。 ……オリバーとマルコと名乗った二人組の男はオルヴェたちと同様に冒険者であり、しかも碧照ノ樹海の最前線をたった二人で行く熟練者だったのだ。 最初はヴィーザルに渾身のシールドバッシュをお見舞いされたのもあって、この二人組を警戒していたオルヴェたちだったがマルコの弁明と大きな身体を出来るだけ小さく丸めて必死に謝ってくるオリバーの少し愉快な姿に少しずつ心を開いていった。 ……ヴィーザル以外は。 「ごめんなさいねオリバーさん、マルコさん。 ヴィーザルもへそ曲げてるだけだから気にしないでいいわよ」 「すまないね、お詫びになるかは分からないけれど君たちの探索を手伝わせてもらえないかな」 「えっ?」 予想外の発言に目を丸くしたアリシアにマルコがニコリと笑みを浮かべてみせる。 「見たところ、君たち新人さんみたいだし僕たちの知識が役に立つかもしれない」 「勿論探索で出た素材は全部お前たちが持って帰ってくれていいからな! ……実のところ、今俺たち持ち合わせがなくてな」 後頭部を掻きながらオリバーは少し恥ずかしそうな小声で呟くとわざとらしいウインクを飛ばしてくる。 オリバー渾身の茶目っ気にマルコは肩を震わせて吹き出し、オリバーはわざとらしく咳払いするとアルゴノーツの面々にちらりと目配せした。 「ダークエーテルを使う力量に素材は全部こちらの取り分……ま、悪くはない条件ね」 「ダークエーテルって?」 「さっきの暗い影よ、大気中のエーテルを操作して擬似的な……要は精神安定効果が見込める技よ」 無言の視線に促され、オルヴェたちは二人から少し離れた場所でモルモットのように引っ付いて集まると相談し始めた。 ……アリシアの分析によればマルコは(現時点では)彼女以上に”手慣れ”の占星術師であり、オリバーの方も未知数であるがそれなりに体躯の良いヴィーザルを簡単に吹っ飛ばせる男だ。戦力としては十分だろう。 「そんなに凄腕なら是非よろしく──」 「嫌だ」 「ええっ!?」 ヴィーザルは青い目を見開いて驚くオルヴェの耳を思いきり掴むとそのまま後ろへと引っ張って連れて行く。 痛がるオルヴェを連れて全員から少し離れた位置にやって来たヴィーザルは自分を困惑気味に見上げてくる親友に小声で囁いた。 「見た感じ、あいつらの装備はそれなりに高級品だ。手入れも手間がかかるし、メガネの方の器具は占星術ギルド支給の試作品だぞ」 「え、どういう事?」 「金持ってないなんてウソっぱちだって事だよ。どういうつもりかは知らねぇけど人にぶつかっておいて節約しようだなんてどういう魂胆してんだ」 遠くにいるオリバーとマルコを睨みつけながらヴィーザルは吐き捨てる。 賞金稼ぎであるヴィーザルの言葉を確かめる為にオルヴェも彼らをそっと観察してみたが、確かによく見れば細かい装飾や複雑そうな機構はどこか高級感があるように見える。 ……少なくともそれなりの金は持っているようだ。 「うーん……でも良いんじゃないのか?着いてきてもらっても、オレたちもこの樹海のことよく分かんないんだし」 「はぁ!?」 「頼む!この通り!この埋め合わせは後でちゃんとするからさ!」 三秒ほど悩んであっさり言い切ったオルヴェにヴィーザルは信じられないと言わんばかりに盛大にため息を吹きかけて頭を振った。 ……確かにヴィーザルの怒りもわからなくもない、パーティメンバー以外の人間に対して警戒心の強い彼のことなら尚更だ。 だがオリバーとマルコも反省しているようだし、それに先輩冒険者の手助けをタダで受けられるというのなら話は別だ。 お金がないと言ったのも何か事情があるのかもしれないし、それならお金に見合うだけ働いてもらえばいいだろう。 「……ぁあ分かったよ、クソッ!」 「よし!後でなにか奢るから気分直してくれよ、ヴィーザル!──あいてっ」 「どうどう」 ヴィーザルはしばらく振り上げた拳を震わせていたが、やがて言葉を吐き捨てると拳を緩め自分の髪をかき上げた。 その瞬間、両手を合わせて懇願していたオルヴェの表情がパアッと明るくなって青い目がキラキラと輝く。 そのまま「ありがとう!」と今にも飛びついてきそうだったのでヴィーザルは先手を打ってデコピンしてやった。 ……真面目なエドがすぐに叱ってくるが、オーバーリアクションで情けない悲鳴を上げる親友に少しだけ胸の中がちょっと黒く爽やかな物で満たされる。 「てなわけで、よろしくな!オリバー、マルコ!」 「おう、頼むぜ!ところでお前たちの名前は?まだ聞いてなかったな」 「オレはオルヴェ!そしてこっちはオレのギルド『アルゴノーツ』の仲間たちで──!」 オルヴェの言葉を聞いたオリバーとマルコは嬉しそうに破顔し、伸ばされたオルヴェの手のひらをしっかりと握りしめた。
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逃げようとする森ネズミの頭蓋を槍が貫き脳混じりの鮮血が若草の上に飛び散る。 飛び出してきた魔物との戦闘を終え、イリスは深く息を吐くと力を込めて槍を引き抜いた。 「──っ!オルヴェくん!ベータさんは?」 「どこだ……!あ、あった!」 オルヴェは戦闘中に手からすっぽ抜けて吹っ飛んでいったベータを探しに行ったらしく、茂みの中で揺れる赤いマントを不安げに見守るイリスだったがやがて少年の手に蒼い剣が掲げられほっと一息ついた。 「……マスター、私は飛び道具ではありません」 「知ってるってば!でもあいつら力入れて斬らないと刃が通らないんだよ!」 「剣技は力だけではありません、相手の筋骨格に沿って斬りつければ現在の半分以下の力で無力化できます」 「分かってるっつーの!!」 相変わらずベータ特有の切れ味鋭い言葉が飛んできたのでオルヴェは口をとがらせて反論する。 あのバッタの硬さをベータも身を以て経験しているのにこの冷たい態度は一体どういうつもりなのか。 ……碧照ノ樹海に生息する魔物は東土ノ霊堂と比べて桁違いの強さを持っていた。 同行しているマルコからこの迷宮は東土ノ霊堂があった島『はじまり島』の魔物と同じと思うなと忠告された通りエドのガード越しでも衝撃を感じるバッタの強烈な脚撃や、苦手な虫かつ集中力をかき乱す羽音を放つアリシアの天敵シンリンチョウ。 馬車くらいはありそうな狒々に奇襲された挙げ句ヴィーザルの投刃を弾かれた時は正直オルヴェも肝が冷えた。 だが先日の守護獣との戦闘もあってか、この程度の強さならまだ長年の付き合いで培った連携でも太刀打ちできたし本当に危ない時はオリバーとマルコが助けてくれた。 (例えばオルヴェが何を血迷ったのか自信満々に巨大なクマに突撃しようとした時に強制確保してくれたり!) ……しかし、東土ノ霊堂の時と違うのはオルヴェの残影が全く出てこないことだった。 「お前もあのキラキラするやつ出し渋るなよ!」 「キラキラ、残影ですか。あれの発動は持ち主の資質によるもので私は補助に過ぎません。単なる知識と練習不足かと」 「だ、大丈夫だよオルヴェくん!そのうち出来るようになるって!」 ムキになるオルヴェと宥めるイリス、そして淡々と痛いところを突き続けるベータ。 ……オリバーとマルコの前では喋らないくせに、こうやって仲間だけになった途端あれこれ文句をつけてくるのだからオルヴェからしてみたら溜まったものじゃない。 相も変わらず場所を選ばず言い争う彼らの姿にアリシアたちも少し慣れてきたが、やはり頭痛の種であることに代わりはない。 「オルヴェも相変わらず飽きないわね……」 「僕たち、ちゃんと世界樹の麓に辿り着けるんですかねぇ」 頭を悩ませるアリシアとは対照的にまるで子どもの喧嘩でも眺めているかのように落ち着いたエドに小休止のコーヒーを勧められありがたくカップを受け取る。 先程まで内部で羽音が反響していた頭を癒すようにゆっくりと黒い飲料を味わいながら、アリシアは改めて碧照ノ樹海を眺める事にした。 しばらくしてトテトテと小走りで帰ってくるイリスに続き不満を垂れながらオルヴェも茂みから戻って来た。 「オレを選んだのはベータだろ……少しくらい大目に見てくれよなー」 「強くなるなら毎日特訓しろっておじいちゃんが言ってたし、オルヴェくんも私と一緒に特訓する?」 「うぐぐ……やっぱそれしかないのか……?」 「まぁベータの話もあながち間違っちゃいないし許してやれよ」 「えーーっ!!ヴィーザルまでベータの肩持つのか!?」 戻ったのに突然親友に背中を撃たれたオルヴェは大慌てでヴィーザルにしがみついたが、ヴィーザルは狼狽える親友の脳天に手刀を叩き込んで引っ剥がした。 「お前だってさっきアイツらの肩持っただろ」 「あ、あれは別件だろ!」 ヴィーザルが少し意地の悪い笑みを浮かべながら先ほどのオリバーとマルコの件を引き合いに出してやると、流石に能天気なオルヴェも図星を突かれて堪えたのか眉をひそめ目を逸らそうとする。 「マスター、中立的な観点の私から申し上げると本件も大して変わらないかと」 「ちょっ!」 「どうするオルヴェ?たまには労ってくれてもいいんだぜ?ほら!」 「わはははっ!!マジでやめろってぇ!!」 ベータからも鞘越しに追いうちされ涙目になるオルヴェ、その両肩を掴んでヴィーザルは先ほどの仕返しだと言わんばかりに鎧の隙間に手を突っ込んでくすぐりだした! 「あの二人、大丈夫かなぁ……?」 「ふふっ、オルヴェくんとヴィーザルくんがいつもやるみたいにベータさんともすぐに仲良しに戻れますよ」 悲鳴をあげるオルヴェとのじゃれ合いを心配そうに見守るイリスに、エドはあっけらかんとした様子で答えると、悲鳴をあげるオルヴェを指差す。 戦闘では息切れ一つしなかったのに顔を真っ赤にして遊ぶ幼なじみ二人の姿にイリスは胸を撫で下ろしたが、隣にいたアリシアは何がツボに入ったのか思わず声を出して笑い転げる。 「何やってるのよあなた達!ちょっとベータも!はははっ!」 「あははっ、本当だ!」 どうやら見ていない間にベータも参戦したらしく、青色の刃を細い鞭のように形状を変化させてオルヴェをくすぐりまくっていた。 オーディエンスと助っ人の出現にヴィーザルは悪い笑みを浮かべ、更にオルヴェへの仕返しを加速させる! 「君たち、そろそろ出発するかい?」 「うおっ!?」 不意に頭上から影が差し急に話しかけられたヴィーザルは肩を跳ねさせる。 喉から心臓が飛び出そうなくらい驚きながらも声の方に目を向けると、いつの間にか近くにいたマルコがこちらを見下ろしていたのだ。 ヴィーザルの下にいるのは二人がかりでくすぐられまくったお陰で全身汗だくで赤くなってるオルヴェだし、よく見ればベータは既に剣に戻っており我関せずという風に沈黙していた。 ……逆光でメガネを光らせたままマルコは静かに佇んでいる。その表情から、何を考えているのか窺い知る事はできなかった。 「……」 「仲の良いことは素晴らしいことだ!友達は大事にしろよ?」 石化したように微動だにせず沈黙しているヴィーザルにオリバーは頷くとぐったりしているオルヴェを起こして、寄ってきたエドに渡してやった。 あまりはしゃぐと体力が無くなるぞとだけ忠告し、オリバーとマルコはこれまでで一番温かい目で新米冒険者たちに微笑みかけると普段と変わらない足取りで先への道を促してきた。 「……じゃあ、行くか」 「オレ、穴があったら今すぐ入りたい」 ……先ほどの一件でアルゴノーツの空気は微妙なものになっていた。 いつもは無駄に元気なオルヴェも恥ずかしいやら情けないやらですっかり意気消沈したらしく、俯いたまま赤いマントにくるまって歩いている。 ……なんだか大きなコウモリみたいで少し可愛いなと、アリシアは不貞腐れたオルヴェをチラチラ見ながら思った。 「シャベルになりましょうか、マスター」 「うぅ……もういい」 ベータの皮肉にも今のオルヴェには言い返す元気がない。 折角聖剣に選ばれた勇者としてカッコよく振る舞おうとした矢先にとんでもないものを見られてしまった今、オルヴェは一刻も早くこの醜態を挽回したい気持ちでいっぱいだった。 何でも良いから魔物の一匹でも飛び出してきてくれないかと願いながら、オルヴェたちは樹海の奥へと進んでいった。
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「……あ!もうすぐ地図完成しそうだね!」 「お、本当だ!」 「僕たちって今日一日でこんなに探索したんですね」 その後も探索と戦闘を繰り返し碧照ノ樹海がオレンジと赤に染まり始めた頃、地図を覗き込んでいたイリスが不意に明るい声を上げる。 探索当初は真っ白だった羊皮紙の上にはオルヴェが書いた地図や仲間たちのコメントで埋め尽くされておりもうほとんど完成していたのだ。 「後少しだから、そこまで描いて終わりにしない?」 「さんせーい!」 「オリバーさんとマルコさんにも見てもらいましょうよ!」 後ろからついてきていたオリバーとマルコを手招きし地図を見せると彼らもここまで早く書けるとは思っていなかったらしく、大層驚きつつまるで自分のことのように喜びをあらわにした。 最後まで書いてから帰りたい旨を伝えると快く了承してくれたが、最後の広間に足を踏み入れるとマルコが少し寂しそうに声をかけてきた。 ……彼が指さす泉の対岸には下層へと続く階段があった。 「君たちは十分強くなった、ここから先は僕たちなしでもきっと大丈夫だよ」 「最初見た時はちょいと心配だったが、杞憂に済んで良かったぜ」 「どういう意味だよ~!」 別れの寂しさを吹き飛ばすような軽口をたたくオリバーにオルヴェがちょっとふてくされ気味に言い返し、その光景をマルコや仲間たちが微笑ましく見守る。 夕日差す樹海の中で和気藹々とした雰囲気が流れていた……はずだった。 『不明な生命反応が二つ、こちらに向かってきます』 「っ!?」 突然ベータが警告を発し、直後に階段の下から鉄を叩きつけるような轟音が響き渡る! 魔物かと一行が身構えた瞬間、階段から飛び出してきたのは大怪我を負った血塗れの衛兵だった。 「うわあっ!!?」 「たっ、助けてくれっ!!」 負傷を省みず必死に登ってきたのだろう、血まみれの衛兵は駆け抜けた勢いのまま背負っていた別の衛兵ごとオルヴェたちの前に倒れ込んだ。 全身で息をする傷だらけの衛兵の鎧はあちこち砕けており、右の足に至っては紫色に腫れ上がり筋繊維と浮き出た血管が激しい痙攣を繰り返すグロテスクな光景に喉の奥からすっぱいものがこみあげてくる。 オリバーとマルコは立ちすくむオルヴェたちを押し退け衛兵たちのもとへ駆け寄るとメディカや包帯を片手にすぐさま介抱し始めた。 「大丈夫か!?何があった!」 「ぅう、赤毛の、怪物、だ……!!」 「怪物……!?」 意識のある衛兵もオリバーの呼びかけに必死に応答しようとしているようだが、肺がやられたらしく激痛から来るうめき声と血混じりの咳のせいでマトモな受け答えにならない。 「わ、私たちも手当を──っ!」 「イリス!?」 「どうした!?……っ!」 先ほどまで平和で静かだった緑の樹海は一瞬のうちに赤黒い鮮血に彩られた惨状へと変貌した。 最初に我に返ったイリスは首とおさげをぶんぶん振り回してすぐにオリバーたちがまだ診ていない衛兵に駆け寄り──息を呑んだ。 助けを求めてきた衛兵の応急処置を終えたマルコがイリスの方へすっ飛んできたが、血溜まりに倒れて微動だにしない衛兵を見るなり眼鏡越しの眉間に険しいシワを寄せる。 「……この人はすぐに運ばないとマズい」 「アルゴノーツ。俺たちは衛兵を連れてベースキャンプに戻る、お前らも用心しろよ!」 オリバーは意識のない衛兵を背負って立ち上がり、動ける衛兵に肩を貸したマルコは深呼吸をして星体観測を発動させる。 「!オレもついて──」 オルヴェが飛び出そうとするとオリバーの大きな手のひらが頭を撫でくりまわした。 見下ろす男は赤黒い液体の付いた顔を軽く拭うとゆるく首を左右に振り笑顔を浮かべる。 最初に出会ったときのような豪快で快活な破顔ではない。 強く閉じられた真一文字の口から同行を許可する言葉は絶対出ないだろうし、三白眼の瞳に宿る強い意志は生半可な覚悟を許さないだろう。 ……しかし、厳しい表情とは裏腹に頭に乗せられた手の動きがずっと優しい事にオルヴェは気がついた。 「大丈夫だ、コイツのことは俺達が責任を持って送り届ける。だからお前らは気にせず探索を進めてくれ」 「……うん」 オルヴェが小さく頷くと、そのまま二人は再度手を振って出口に向かって走っていった。 ……残されたのは異様な静けさと錆鉄のような饐えた臭気だった。 「…たぶん、あの人もう」 アルゴノーツが階段前で呆然としていると、イリスの愛らしい声が聞こえた。 あの人、とは恐らく背負われていた方の衛兵だろう。 丸っこいオレンジの瞳は夕日に照らされぼんやりと輝き、イリスらしくない冷徹な視線が衛兵たちが進んでいった茂みを黙って見つめていた。 誰も……それ以上何も言わなかった。さっきまでここで倒れていた衛兵の紫色の唇や土気色の肌、濁った白の眼球と動かない胸、温もりが今も忘れられない。 「この下に一体何があるんだ……?」 胸の奥底で湧き出した『それ』を絞り出すように溢れたオルヴェの言葉に誰も、ベータも、何も答えなかった。 ──答えを持ち合わせていなかった。
5
その日、マギニアに戻るアルゴノーツの足取りは重かった。 段々と暗くなっていく空の下、冒険者たちは無言で列をなしてマギニアへと帰投し湖の貴婦人亭へ帰るまで誰も言葉を発しなかった。 明かりの漏れる扉を開けると珍しく起きていた店番の少女が気だるげに出迎えてくれたが、普段と様子の違うおかしいアルゴノーツの姿に首を傾げる。 「ん?何かあったの?」 「色々。夕飯を頼んでもいいかしら」 アリシアが赤く汚れた顔を拭いながら手短に夕食の準備を頼むと、店番の少女は興味をなくしたのか「ふぅん」と間の抜けた声で頷いた。 ……今のアルゴノーツに何があったかのを答える気力は既になかった。 熱々のシャワーで今日の汚れを流し、用意された温かい夕食を囲んで、いつものように談話する仲間たちを前にしてもオルヴェは心ここにあらずといった様子だった。 「……」 「ちょっと、オルヴェくん」 「……ん、あぁ」 「さっきからぼんやりしてますけど大丈夫ですか?」 机に肘をついて昼間のことを考えているとエドが咳払いをして肩を叩いてくる……考えるのに集中しすぎたらしく、冷めたハンバーグには無数のフォークの穴が空いていた。 我に返ったオルヴェは喉に詰まりそうな勢いで料理をかきこみ始め、ガチャガチャと食器の触れ合う音が静かな食卓に響く。 ……既に半分以上食べ終わった仲間たちのペースに追いつこうとしているのか、いつものように大好物を前に大喜びで頬を膨らませて食事するオルヴェの姿はそこになかった。 食べ物を飲み込みながらオードブルのポテトサラダに手を伸ばしたオルヴェだが突然皿が浮き上がり、見上げた先にはヴィーザルの不機嫌そうな瞳があった。 「あ、おい!」 「昼のこと、気にしてるのか」 「……まぁ、少し」 どこか心配するような表情のヴィーザルの指摘にオルヴェは覇気のない声で答えると皿に伸ばした手を引っ込めら。 なんてことはない会話のはずなのに今日だけは答える気になれなかった。 そのままテーブルの下で組んだ手を見つめているとヴィーザルはため息をついて、皿に盛ったポテトサラダを差し出してきた。 「お前みたいなのに言うのも少しアレだが、ああいうのは慣れるしかない。これから先キツイぞ」 「分かってるよ……こういうのは今日だけだって」 そう言ってオルヴェは笑ってみせると、親友から差し出された皿の料理を口に運ぶ。 賞金稼ぎのヴィーザルからしてみれば、今の自分が抱くこの気持ちはとっくの昔に通り過ぎた物なのだろう。 ……よく考えてみればアルゴノーツの中で一番自分が『こういうこと』に慣れていない。 それがすごく情けないことに思えてきて、オルヴェは折角の夕食の味や隣に座る親友がどんな顔をしていたのかはっきり分からなかった。 ……窓から見える光が少なくなっていくにつれ食堂にいる冒険者たちも姿を消し、アルゴノーツの面々も食べ終わった者から自然と自分の部屋に戻っていった。 もう席にはオルヴェとデザートのプリンを食べるイリスしか残っておらず、たまにお裾分けされてくるデザートを頬張りつつオルヴェたちは夕食を食べきった。 「オルヴェ、少しいい?」 「ん?」 オルヴェがイリスを女子部屋に送り届けて帰ろうとしたその時、部屋で本を読んでいたアリシアが顔をひょっこり覗かせる。 くせっ毛の橙髪を一つにまとめて、所々にフリルのついたゆったりとしたワンピース風の寝間着を着た少女は単細胞で朴念仁なオルヴェの目から見ても中々愛らしい。 イリスを部屋にしまったアリシアはオルヴェの前でしばらくモジモジしていたが、やがて少し裏返った可愛らしい声で話しかけてきた。 「今日の探索の事なんだけどその……む、無理しないでよね」 「……それだけ?」 「こ、これ以上何を言えばいいのよ!無事でよかったわねとかっ!?」 ぽかんとしたアホ面のオルヴェの答えが気に食わなかったのか、アリシアはさっきまでの淑やかな様子を一変させた。 顔をゆでダコみたいに真っ赤にしてさっき言ったことを否定したり、ああでもないこうでもないと早口で喚き立てたり一人で盛り上がっている。 まるで騒がしい子犬みたいな、普段の冷静な彼女からはは絶対想像できない姿にオルヴェはぽかんとしていたがやがてあまりの豹変ぶりに思わず腹を抱えて笑い出した。 「何がおかしいのよ!」 「いやだって、アリシアの顔見たら安心してさ!」 「もう……!」 笑ったのは悪かったが安心したのは本当だと言ってやるとアリシアは腕を組んで唇を尖らせる。 ……そっぽを向いた彼女の顔が子供っぽく拗ねているようにも俯いた金色の睫毛が泣いているようにも見えて、オルヴェはアリシアの隣にそっと寄り添った。 「アリシアはあの怪我した衛兵、怖くなかったか」 「まぁまぁ堪えたわ、死んでいく人間を間近で見るなんて初めてだし……」 「……オレもだ」 大きく間を取って、オルヴェも頷く。 アリシアは何を返すわけでもなく、続きを促すように青年の背中を撫でた。 「目の前にいるのに、助けられない人がいるって……こんなにも辛いんだな」 今にも消えそうな声がアリシアに、そしてなによりオルヴェ自身に言い聞かせるようにこぼれ落ちる。 「……ええ、とても辛いわ」 これまで一緒に過ごしてきた幼なじみの弱々しい姿にアリシアは背中を撫でていた手をオルヴェの手に重ねた。 ……だが、思ったよりも大きな手が握り返してきてアリシアは耳まで真っ赤になってロケットジャンプみたいな勢いで立ち上がった。 乗せられた手を無意識に握っただけなのに、突然飛び跳ねられたオルヴェは廊下でひっくり返り目を白黒させる。 「あっ!明日も早いしもう戻るわね!おやすみ!」 「お、おう!?おやすみアリシア」 そのまま逃げるように部屋に飛び込んでいくアリシア、耳まで赤くなった少女をオルヴェはひっくり返った姿勢のままで見送った。 「……戻るか」 しばらくしてオルヴェも起き上がり自分たちの部屋に戻り、相部屋のヴィーザルたちの寝息と月明かりだけの静かな相部屋のベッドにオルヴェは身をねじ込んで目を瞑る。 (……) ……オルヴェが目指していたのは誰でも助けるしどんな目にあっても傷つかない、そんな英雄。 それを目指して冒険者になったのに今日突きつけられた現実に対し、十六年間胸の中で思い描いていた理想は全く役に立たなかった。 今だってどれだけ手当しても壊れた蛇口みたいに血が止まらない焦燥感や、触れた傍から体温と世界の境界が無くなっていく身体の温度が忘れられない。 ……仲間や自分もそんな目に遭うかもしれない、と一瞬でも怯えてしまったことも。 オルヴェは頭までシーツを被って丸くなる。 明日、ベースキャンプに行って確かめればいい。 一眠りすればきっと受け答えの出来なかった衛兵もきっと元気になっているはずだから。
6
「オルヴェくん!起きてください!」 「んが……」 目覚まし時計のような呼び声に意識を呼び戻され、オルヴェは眩しそうに目を開ける。 上下が反転したエドは茶色の瞳を細めて笑うと「朝食ができてますよ」と、くるりと白と赤のエプロンを翻し下の階へと降りていった。 ……今日の朝食はハム付き目玉焼きとパンだろう。 エドがまとった残り香にオルヴェは鼻をひくつかせるが、やはり昨日から機嫌の悪い腹の虫は鳴こうとしなかった。 「寝相の悪さは睡眠の質に直結しますよ、マスター」 「うるさぃベータ……」 机の上から小言を言ってくるベータにも言い返しつつ、オルヴェもベッドから転げ落ちた身を起こすと大きく伸びをして体を軽く鳴らしながら寝間着を脱ぎ始めた。 「みんなおはよー……」 「腹出して寝てんのによく風邪引かねぇよな、お前」 「んー」 腹丸出しでベッドから落ちていたのが悪かったのか、はたまたベータに指摘された通り寝つきが悪かったのか、まだ寝ぼけながらオルヴェが下の階に降りると既に探索準備の整った仲間たちがそれぞれのんびりしながら食卓を囲んでいた。 「今日の探索だけど……あら?」 「どうかしましたか」 もそもそと朝食を食べだしたオルヴェの隣に座るアリシアは一晩寝て吹っ切れたのか、いつも通り昨日の晩に考えておいたであろう探索計画を喋っていたのだが不意に言葉を止める。 どうしたのだ、と固まったアリシアの視線の先を身を乗り出して覗くと窓の向こうの宿屋通りを沢山の冒険者や衛兵の団体たちが埋め尽くしている異様な光景が広がっていた。 名高いギルドからオルヴェたちと同じような新米ギルドまでぎゅうぎゅうに集まってどこかを目指す姿は一般市民でも大事だと分かる様相であり、その行軍はまるで最初にレムリア島に着いた際の演説の聴衆を思い起こさせる。 「なぁちょっと!そこのおねーさん!」 「……ん?」 一体何があったのか、とにかく事情を把握したくてオルヴェは近くに座っていた冒険者に話しかける。 ……その冒険者は宿屋というのに、探索には不向きな分厚い鋼の鎧を着て、背負っていた三角形の盾や腰に下げた剣は鋭く輝き、まるで怪物か何かを退治しに行くような格好をしていた。 「……何かあったのか?」 「知らないの?司令部から碧照ノ樹海に出た危険な魔物を退治しろってミッションが出たのよ」 最近は被害が多かったからね、とどこか他人事のようにぼやきながら冒険者はコーヒーを飲み干すと足早にオルヴェたちの前から立ち去る。 店を出た冒険者は待っていた仲間の元へ駆け寄ってすぐに冒険者たちの列に入ってしまい、その姿はどこにも見えなくなってしまった。 ──『碧照ノ樹海』。 女性が残した言葉はオルヴェたちの幼い顔を青ざめさせ、脳裏には昨日の夕暮れの光景が呼んでもないのに浮かびあがってくる。 「もしかして、昨日の……」 「……とにかく行ってみよう」 オルヴェは怯えて身を縮ませるイリスの肩を叩いて励ますと、胃袋にエド特製の朝食を突っ込み湖の貴婦人亭を飛び出して冒険者たちの大行進に飛び込んだ。 ……首を上げて見据えた司令部の尖塔は太陽を背に黒い輝きを放っていた。 長い行列に並び、ジリジリと太陽に焼かれ、司令部に辿り着いた頃には他の冒険者たちは既にミッションを受けたのか、衛兵も冒険者の姿もまばらでいつもは人混みの中を忙しそうにあちこち歩き回って指示を飛ばしているペルセフォネ姫もすぐに発見できた。 「誰かと話しているみたいですね」 「あれって……」 「──では、よろしく頼む」 「任せてください、タルシスの樹海の事なら何か力になれる筈ですし……」 だが先客がいたらしく、ペルセフォネ姫はウェーブのかかった暗い赤髪の女剣士と話し込んでおり、凛々しい横顔や凛とした声は普段にも増して厳めしく重苦しいものになっていた。 「……樹海、助言、どうやらミッションの話らしいぞ」 「もっと近くで聞いてみましょ、何か知ってるのかも」 聞き耳を立てたヴィーザルの情報を元に、オルヴェたちは柱の陰にくっついて隠れて謎の女剣士を観察する事にした。 ……踊り子風の軽装に反してその褐色の体は鍛えられており、難しそうな顔で言葉を紡ぐペルセフォネ姫を前にしても堂々とした佇まいや体中の古傷の跡は彼女が歴戦の冒険者であることを示していた。 「ちょっと待てよ、あの人どこかで──」 腰に下げた珍しい形の長剣と二の腕には赤い竜の入れ墨、それらに見覚えがあったオルヴェはあっと声を上げた。 「も、もしかして……ドラゴンキラーのウィラフさん!?」 「え!?……もしかして私を知ってるの?」 突然、背後から名前を呼ばれた女性──ウィラフは堂々とした佇まいからはあまり想像できない素っ頓狂な声を上げて振り向くと、自分の名前を呼んだであろう冒険者たちを丸くなった目で確認するように見渡した。 「誰ですか、データベースにありません」 「知らねぇの!?オレが子供の頃にタルシスで活躍してた冒険者で、有名ギルドの人と一緒に竜を退治したんだよ!」 「今は世界各地を旅しながら竜退治してるって話は本当だったのね……」 「そうですか、対象IDを新規登録します」 子供の頃に聞いた有名人を目の前に柱の陰からぞろぞろ出てきて興奮するオルヴェたち、対照的に腰に下げられたベータは冷ややかな声でウィラフを訝しむ。 「もしかして、君たちもタルシス出身なの?」 「そうです!オレたち冒険者ギルドのアルゴノーツっていって……!」 「ちょっと!今ウィラフさんはペルセフォネ姫と話してたでしょ!」 「あ、そうだった!ごめんなさい……」 まだ新しい装備をまとった同郷出身の新米冒険者たちの姿にウィラフはニコリと笑みを浮かべ、気にしていない首を振ってやる。 はしゃぐアルゴノーツの姿にペルセフォネも表情を和らげると集団の中で少し遠い場所にいたヴィーザルに視線を送る。 ……こちらに気が付き目だけ向けてきた白髪の青年にベータ──レムリアの宝剣の情報はまだ見つかっていない、と剣に選ばれた青年を見ながら首を振ってみせる。 会得した、と言わんばかりにヴィーザルは肩を竦めオルヴェに耳打ちするのを見届けペルセフォネは空気を改めるように咳払いした。 「アルゴノーツよ、汝らもミッションを受けに来たのだろう。ウィラフ殿、よければ彼らにもあの樹海の事を教えてやってくれ」 ペルセフォネに命じられウィラフは任せてほしいと胸を張ると、先ほどの後輩たちを見守るような人懐っこい笑みから感情の消えた真剣な表情になってアルゴノーツに向き直った。 「さて、アルゴノーツのみんな。君たちもタルシス出身なんだよね? ……君たちはお父さんやお母さん、知り合いの人から『獣王ベルゼルケル』って話は聞いたことある?」 「獣王?」 聞き慣れない単語にオルヴェは首を傾げ唇を噛んで思考を巡らせる。 ……昔から冒険者の酒場にこっそり忍び込んでは冒険の話を聞いて回っていたから、多分そこで聞いた中にも獣王ベルゼルケルという話もあったはずである。 思い出そうと四苦八苦しているオルヴェや互いに顔を見合わせて話し合う仲間たちの中で、一人エドだけは唇を真一文字に結んでため息を吐いた。 「子どものいる冒険者が、その『獣王ベルゼルケル』に襲われて命を落とした事故がたくさんあったって聞いてます……僕の周りにもそういう子がいっぱいいました」 「!まさか……君のご両親も?」 やってしまった、と言わんばかりにウィラフは口を小さく開いたまま硬直し周囲の空気が一気に凍りつく。 申し訳無さそうに縮こまるウィラフやぴくりと表情が固まったペルセフォネに向かって、エドは慌てて首を横に振って笑ってみせた。 「いえ!僕のは違いますよ。 ……ただ、僕と同じように親のない子どもたちの中にはそういう子も結構いたんです」 だから気にしないで、と話の続きを促すエドとそれに応えるウィラフたち。 だがオルヴェだけは進んでいく言葉の中、まるで一人別の世界に取り残されたような感覚に陥っていた。 耳から入ってくる声は何枚もの布越しに聞いているかのようにくぐもって、背中や手のひらにはじっとりとした汗がまとわりつく。 高熱の時みたいな寒気がする。鼻の奥、呼吸器の奥から異様な匂いがする。 鎧の下で無意識に強張った身体はまるで死──。 「オルヴェ?」 「!」 不意に響いた呼び声に、オルヴェは背筋を伸ばしバッと頭を上げる。 そこには話を中断したウィラフと突然動きを止めてしまったオルヴェを心配するアリシアの姿があった。 なんでもない、と頭を振って思い出した光景を振り払うもウィラフはオルヴェが何を考えていたのか分かっているのだろうか、眉間にシワを寄せて言葉を続ける。 「長々話したけど大事なのは一つ……絶対に無理はしないほうがいいってこと、もし自信がないのならこのミッションはパスするべきよ」 「!それは……」 ──それは困る! だって自分はベータを世界樹の麓に連れて行かなければならないし、なにより世界一の英雄になるためにはこんなところで止まっているわけには行かないのだ。 だが言い返そうとしてもいつものように言葉がスラスラと思いつかなくて、喉の奥に詰まったような感覚に呆れ苛立ちながら頭を掻くと、対話を静観していたペルセフォネがオルヴェの名前を呼んだ。 「オルヴェ、そしてアルゴノーツよ。 事を急いでは元も子も無くす……此度のミッションは大きな危険が伴う、一度汝らで相談し合うべきだろう」 ペルセフォネ姫までどうして、と言おうとしたオルヴェの口はすぐに閉じられた。 こちらを見つめてくるペルセフォネの碧眼は心を射貫くように鋭く澄み切って、心配とも忠告ともつかない色の瞳に映っている自分の表情があまりにも必死そのものだったから。 「……っ」 「分かりました……オルヴェくん、いこ?」 伏し目になってしまったオルヴェの肩をイリスがそっと寄り添って引っ張った。 そのまま仲間に連れられオルヴェは力なく司令部から歩き去って行った。
7
司令部を飛び出したはいいもののどこに行く宛もなく、かといってミッションのことを話し出す気にもなれなくて、アルゴノーツは司令部前の高台でぼんやり街と青空を見つめていた。
「マスター、貴方は死が怖いのですか?」
「え」
オルヴェは腰に下げたベータを二度見した。
普段なら無闇矢鱈に話すことを厭い、普通の剣のフリに専念しているベータが話しかけてきたのだ。
……しかも人通りの多い街中で。
「最近のバイタルや脳波から算出した結果、貴方は『死』という単語又はその意味を含む物に強く反応しています」
「それは……別にミッションと関係ないだろ!」
自然と荒ぶりそうになる声と語気を喉の奥に無理矢理引っ込めて、手で壁を作ったオルヴェはベータを睨みつける。
だが今回のベータは普段のように冷酷無慈悲にオルヴェの弱点や矛盾点を詰るわけでもなければ、愚かと一笑し無視するわけでもなかった。
怒りとも恐怖ともつかない何かをこらえる様にギュッと唇を結んだオルヴェに見つめられ、何かを考えるようにしばらく黙ってから無機質な声で問いかけてきたのだ。
「質問です、マスター。
貴方は自らの死を目前にしても、私を手に取り戦えますか?」
「!……」
冷たい声はいつもと違ってオルヴェを試しているようにも、何かに縋っているようにも聞こえた。
……自分は英雄なんだから勿論戦えると言いたいのに、どういうわけか今のオルヴェには答えられなかった。
ただ一言「オレは戦える」と言えばいいのに。
仲間たちから向けられる視線やベータの放つ燐光、そして自分の口から出てきた情けない一息にどうしようもない気持ちで一杯になって、首を縦に振ることすらまるでギプスで固定されたみたいに重くて固い。
アリシアやイリスが話しかけようにも、ヴィーザルが肩を叩こうとしても、ベータを両手で握りしめるオルヴェがまるでなにかに縋り付く迷子の子供のように見えて、どうしようもなかった。
……自分たちもベータの問いへの答えを持ち合わせていなかったから。
「僕が先に答えてもいいですか?」
「勿論構いませんよ、エド」
沈黙を振り払ったのはエドのどこか優しい低い声だった。
エドは許可を出してくれたベータに向かってニコリと微笑むと、オルヴェの隣にやって来て彼と同じように塀に肘をついて並んだ。
……格好悪い顔を見られたくなくて、オルヴェは俯いたままエドを薄目で見上げた。
わざわざ隣に来たというのにエドはベータの問いに答えたりオルヴェに話しかけるわけでもなく、ぼんやりと空を見上げたり髪を揺らすそよ風に気持ちよさそうに目を細めている。
やがて、オルヴェも同じように風に耳を澄ませたり何も考えずに遠くの世界樹と青空を眺めてしばらく経った頃、エドは独り言を呟くかのように口を開く。
「……僕は死んだら神様の元に行きます、そう信じているので。だから死ぬこと自体はそこまででも無いんです。
……むしろオルヴェくんたちを守れないまま行くのが、怖い」
あまり参考にならなくてすみません、とエドは照れたように頭を掻いて苦笑いをする。
シワを寄せた眉に唇は固く結ばれ、どこか不安そうなオルヴェの青い瞳はしばらくエドをじっと見つめていたが、やがて決心したようにオルヴェは息を吐いて仲間たちに向き直った。
「オレは……正直言って死ぬのは怖い。でも、それよりもお前らを守れないまま倒れるのが……もっと怖いんだ」
雑踏にかき消されそうな程の声でオルヴェは言葉を紡ぐ、最後の方はほとんど聞こえないくらいの声量だったがそれでよかった。
だって、こんな弱い言葉をベータにも仲間たちにも聞いてほしくなかったから。
樹海で死体を見つけて、司令部で獣王の話を聞いてからオルヴェの脳裏にはずっと子供の頃の光景が浮かんでいた。
……あの日も、幼いオルヴェは行きつけの冒険者酒場によくいる年上の若い剣士の青年に会いに行ったのだ。
青年は二人組で冒険している以外は特に物珍しい存在ではなかったが、寄ってくるオルヴェを邪険にすることなく不思議な迷宮の景色や珍しい魔物の話を沢山してくれる……そんな冒険者だった。
だが、その日に限っていつまで待っても青年冒険者は現れなかった。彼の相方(オルヴェを邪険にしてくる方)も。
夕方が来るので帰ろうかと酒場を出たその時、見たのだ。
全身切られたような傷と赤黒い汚れまみれで、ボロボロの武具を大事そうに抱え、埃をかぶったガラス玉のような目玉がこちらを見下ろしているのを。
そのあと、青年剣士は酒場に顔を出さなくなってしまった。彼のことは冒険の話をしてくれたという思い出とあの日の冒険の終わりを迎えた横顔、それしか最早覚えていない。
……勢いに任せて胸の内を全て吐き出してしまったオルヴェはもうどんな顔をしたらいいのか分からなかった。
そんなオルヴェの左肩甲骨をヴィーザルの手のひらが直撃した。
「痛ぁ!!?」
「バーカ、俺たちがそう簡単に死ぬと思ってるのか」
「あたしたちだって十年は貴方の無茶に付き合ってきたんだからそんなにヤワでも薄情でも無いわよ」
……ヴィーザルとアリシアの言葉で一気に目が覚めたような気がしてオルヴェは顔を上げた。
いつの間にか仲間たちは皆自分の側に集まっており、皆どこか真剣な表情で更に言葉を続ける。
「確かに今回のミッションは危ないけど……みんなで戦えばきっとなんとかなるよ!」
「そう言う割には表情硬いぞイリス」
「うぅ!うーちゃんいじわるしないでよぉ!」
「そこ!勝手に盛り上がらない!」
口の悪いヴィーザルに涙目になるイリス、混乱してきた現場を仕切るアリシアに二人の間に割って入って宥めるエド。
目の前で繰り広げられる幼い頃から変わらない光景、自分を励ます為の光景にオルヴェの顔は自然と緩み、胸の中の熱い闘志が再点火する。
「マスター」
「……ベータ、もう大丈夫だ。」
……大事な友だちを守れないのが怖い、だったら必ず守ってみせる。
光を取り戻した青い瞳は腰に下げられた剣と、リーダーの