樹海紀行(後編)

アルゴノーツ:第二迷宮『碧照ノ樹海』

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「オリバー!マルコ!」 一目散に駆け込んだ碧照ノ樹海二階の最深部。 そこは美しい緑の葉や樹木が赤黒く染められ、人間と獣が混ざったような異様な臭気に包まれていた。 辺りに飛び散った衛兵の装備や樹木の破片には既にアリが集い、場所によっては大きくへし折れた樹木や炭化した枝や毛が散らばっている。 ……その奥では手当てを受けた人間がうずくまっていた。 「だっ大丈夫か!?」 「君たちは……冒険者か」 うずくまっていた男は近寄ってきたオルヴェたちの足音が聞こえていたようで、すぐに添え木を当てられた腕を上げて降り階段を指差す。 その腕に巻かれた部隊章には星が五つ刺繍され、最上位の衛兵──衛兵長である印にヴィーザルは目を丸くした。 ……こういう管理職まで引っ張り出されるとは、相当追い詰められているのかもしれない。 「オリバーとマルコなら赤毛の熊を追ってこの下に向かった……もし行ってくれるなら早いところ加勢してやってくれ」 「っでもその怪我……!」 「私のことは気にするな!……いくら二人が凄腕でもあの獣はヤバい」 あの二人が助けに来なければ自分はここにいなかっただろうと衛兵長は力なく呟く。 「でも……」 「オルヴェ、俺らの目的は何だ」 「……オリバーとマルコを助けに来た、分かってるよヴィーザル」 それでもなお怪我に集中するオルヴェの腕を掴むとヴィーザルは強い語気で言い放つ。 ……言われなくても分かっている、それでも身体が勝手に動いてしまったのだ。 長年染み付いた人助けの倫理か、或いはこれまで遭遇しなかった死への恐怖か。 そのどちらなのか、今のオルヴェにはまだ分からなかった。 ……兜の下から見上げてくる戦う意志を失っていない眼光、縋るように伸ばされた衛兵長の手をオルヴェは握り返すと力強く頷いた。 「……行きましょう」 万が一に備え先頭に立ったエドの背に続き、オルヴェたちは真っ暗な階段に足を踏み入れた。 一歩踏み出すと足元からべちゃりとした水音が響く、幸いにもそれが何なのかは闇が覆い隠してくれていたが嗅覚の鋭いヴィーザルは鼻を抓む。 ……死の匂いだ。 「キャアッ!!」 「うわぁぁぁぁっ!?」 不意に最後尾を歩いていたアリシアの足の裏で何が柔らかい物の感触がする 即座に甲高い悲鳴をあげた彼女を筆頭に、極限の緊張状態にあったオルヴェたちは毛を逆立てて猫みたいに飛び上がると一斉に武器を抜く! 「そ、そんなに驚くこと!?」 ……ここまで驚かれるとは思っていなかったのか、当の本人であるアリシアは顔を真っ赤にするとしゃがみ込んで足元を探る。 エーテルで光る指先に当たった金属片が見えたアリシアは途端に表情を凍りつかせる。 どうしたんだと話しかけてくる仲間たちにアリシアは拾い上げたレンズの割れたメガネを見せつけた。 細い銀のフレームと少し分厚い近視用のレンズ、これとよく似たものをどこかで見たような気がした。 「……これって」 「っ!!」 居ても立っても居られなくて、拳を握りしめたオルヴェは先頭のエドを抜かすとぬめる階段でバランスを無理矢理取りながら一目散に階段の出口へと駆け下りる! 痛いくらいに差し込む光と緑、刺すような光に目を細めたオルヴェの青い瞳がゆっくり映したのは赤黒い血と土煙にまみれ地面に倒れ伏したオリバーとマルコの姿だった。 「そんな……」 ──あれだけ全身にみなぎっていた力が一気に失われて、その場に崩れ落ちそうになる胴体を押し留めたオルヴェは眼前の結末を見つめるしかなかった。 ……どうしてこんな事に。 自分があと少しでも早く辿り着いていれば、傷を癒せる力があれば、自分に力があれば。 認めたくない、でも震える喉から溢れる声は今にも泣きそうでぼやけた視界は何度擦ってもぬるい塩水がとめどなく流れ落ちようとしていた。 「……マスター、私を彼らの元へ連れて行ってください。 今ならまだ間に合います」 「え……ベータ?」 「早く。心臓が止まってしまう前に」 続けて口から漏れそうになった疑問にオルヴェはぶんぶんと左右に首を振り、ベータの指示通りにオリバーとマルコの元へ近づく。 土気色の彼らを蒼く照らしていたベータは音を立てて自らを剣から箱型に形状を変化させた。 「これから緊急手術を開始します、指示があるまで離れていてください」 「わっ!?」 ベータは細い触腕や未知の器具を生み出すと、オリバーとマルコのどす黒い色の痣や白い部分が見える傷跡めがけてそれらを突っ込む! 「うっ!」 突然の痛みにオリバーが低いうめき声をあげるが、脂汗の流れる険しい表情がすぐに和らいでいく。 まるで凄腕の針子のような手捌きでベータが自らを動かし続けている内に二人の傷はみるみる塞がり、顔色もだんだんと健康な色に戻ってきた。 「……呼吸安定、脈拍数正常。以前貧血の傾向が見られます、後はベースキャンブで専門的な処置をしてください」 「オルヴェくん!ベータさん……って!?」 オルヴェが生唾を飲み込み、イリスたちがオルヴェを追って三階に足を踏み入れた時にはベータはすでに治療を終え剣の形に戻っていた。 「ぐっ……君たちか」 「まっマルコ!オリバー!大丈夫なのか!?」 生き別れの家族と再会したような涙目で縋ってくるオルヴェに答えてやる代わりに、オリバーは彼の頭をもみくちゃに撫で回した。 周囲を探っていたマルコもアリシアから割れたメガネを手渡され感謝を口にする。 ……誰が見ても致命傷だった怪我は戦えはしないものの歩けるまでに治されており、オリバーとマルコはヴィーザルたちに笑顔を見せた。 「もしかして、お前らが手当てしてくれたのか?」 「そんなところだ。それで……」 「二人も獣王ベルゼルゲルに襲われたの?」 無論ベータのことは伏せてヴィーザルはお茶を濁し、イリスの問いかけに二人の表情は一気に険しくなる。 「そうだ。衛兵隊を襲撃していたところを僕たちも見つけて追いかけたんだ」 「手傷は負わせたが、この階に降りたらすぐに姿を隠しやがって……この有り様だ」 そう言って二人の顔が苦々しげに歪められる。 脳裏に浮かぶ敗走の記憶だけではなく、身体中に刻まれた痛みに魘されるように。 ……戦闘しながら自分のテリトリーに誘い込み、弱った獲物に奇襲を仕掛ける狡猾さを持つ獣王。 不意に遠くから聞こえた地鳴りのような咆哮にオルヴェたちは思わず身構える。 「……大丈夫、ここからは離れているみたいだ」 「よかった……」 「それよりもアルゴノーツのみんな、君たちに頼みがあるんだ」 「獣王に手傷を負わせたのは話しただろ? ……このまま俺たちが追い詰めて仕留められればいいが、今の状況ならお前たちでもいけるはずだ」 オリバーとマルコは互いに支え合いながら立ち上がると、オルヴェたちを真剣な眼差しで見据えた。 「ま──……いや、」 ……自分はこれまでの人生で何回『任せてくれ』と口にしただろう。人助け、自分がやりたい、あるいは誰かを安心させるために。 今回のオルヴェの『任せてくれ』はそのどれでもなかった。 口から出たのはでまかせのその時気分の言葉じゃなくて、不思議と頭が冴えて胸の中で闘志が燃え盛る『信頼』の感情だった。 「任せてくれ。必ずオレたちアルゴノーツが獣王ベルゼルケルを倒す」 オルヴェのまっすぐな言葉にオリバーとマルコは無言で頷くと親指を上に立てて歯を見せてきた。 「この戦いが終わったら美味いステーキでもご馳走してやるぜ」 「本当か!?約束だからなっ!」 「オルヴェくんは相変わらず切り替え早いですね」 エドの指摘にオルヴェがまた膨らんで、アリシアたちも思わずクスリと笑いをこぼし緊張気味の空気が和らいだ。 ……肉はいつ食べても美味しいものだから仕方がない。 二階の衛兵と一緒に居ると階段を登っていったオリバーとマルコを見送り、オルヴェたちは再度気を引き締める。 鳥の声や日の差し込む緑色の監獄は最早相手のテリトリー、オルヴェたちにできることは痕跡を辿り樹海の奥へと進むことだけだった。 ヴィーザルとイリスの調査の元、獣王ベルゼルゲルを探してオルヴェたちは赤い毛のついた茂みやまだ温い血液を発見し歩きまわっていた。 出来るだけ散開しないように一箇所に集まって調査をしていたオルヴェは少しだけ仲間に背を向けると、ベータに向かって小声で喋りかけた。 「……その、ベータ。さっきはオリバーとマルコを助けてくれてありがとう」 「どうしたんですかマスター」 無機質な声は生意気なオルヴェが突然見せた殊勝な態度に、ベータは訝しげに言葉の真意を問うと少年はあれだ、それだ、と口ごもりながら少し赤くなった頬を掻いた。 「オレたちだけじゃ多分オリバーとマルコを助けられなかった、でもお前のお陰で救えたんだ。だからその……ありがとな、ベータ」 まだ幼い顔を綻ばせ青い瞳を細めた少年をベータは無言でスキャンする。 安定した心拍数や青い剣をしっかりと捉えた瞳、表情筋の動きやセトロニンの量も、全て感謝や好意を示すものだった。 「……喜ぶのは早いですよマスター、まずはミッションの達成を」 「そうだな、おう!」 感謝には応えず、先への道を促してやると単純なオルヴェはニカッと歯を見せて笑うと、腕まくりする動作をしながら獣王の痕跡を探し出した。 ……こういう時どんな反応を返せばいいのか、破損したベータのデータベースではその答えを導き出すことが出来なかった。 「……あれ?」 追いかけていた獣王ベルゼルゲルの足跡が途切れ、イリスは首を傾げる。足跡が消えた先は背の高い草の茂みであり、大きな動物が通ったような痕跡はない。 ……なのに足跡は行き止まりで途切れているのだ。 「どうしたの?」 「足跡が無くなっちゃって──ん」 うーんと唸りながら顔を上げたイリスはアリシアの背後の木に目が止まる。 オリバーとマルコが戦ったのか、その幹は他と同じように破壊の痕跡が残されており爪痕が上にまで付いている。 (……あんなに高いところまで?) 突然殺気立ったイリスにアリシアが不安そうに話しかけてくるが全身の悪寒が止まらない。途轍もなく嫌な予感がする。 足跡や痕跡から推理するに獣王の体調は碧照ノ樹海のバオバブよりも小さいはず。上まで届くならそこら辺に葉っぱの一枚二枚落ちているはずなのに。 ……なのになんで。 イリスはやっと違和感の正体に気がついた。 ──獣王の足跡が、僅かに二重になっているのだ。 二重の足跡は行き止まりを少し戻り、自分たちの背後にある例の木へと──! 「みんな!これは罠──っ!」 イリスが叫ぶと同時にオルヴェたちの頭上が一瞬にして暗くなる。 ──反射的に見上げた先にいたのは、樹の上から飛び降りてくる赤い毛皮の巨大熊、獣王ベルゼルゲルだった。 誰かが耳を塞げと叫んだ声は、狩りの始まりに歓喜する獣王の前ではあまりにも小さすぎた。

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更新履歴

・2025/03/07:前編後編に分割 ・2024/12/03:第1版